PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA(名古屋) 2022年4月23日〜5月15日
波多野祐貴 YUKI HATANO
波多野祐貴さんは1985年、大阪府生まれ。2009年、同志社大学文学部英文学科卒業。
大阪・豊中市の写真専門ギャラリー、gallery 176などで個展を重ねている。
受賞歴は、第22回写真「1_WALL」審査員奨励賞 姫野希美氏選(2020年)、第1回「PITCH GRANT」ファイナリスト(2020年)、第24回写真「1_WALL」審査員奨励賞 小原真史氏選(2021年)。
「隠れてはない 見えていないだけ」
コロナ禍以前の2016年から2019年にかけて台湾を訪れ、撮影した写真から選んで構成した展示である。
それらは、アート作品というにはさりげなく、それでいて、街のひとこまを撮ったスナップにすぎないとは思えないものをたたえている。
ギャラリーが収録したアーティスト・トークによると、2021年4-5月、同じ台湾で撮影した写真を東京のトーテムポールフォトギャラリー で発表したときの個展「Call」では、ポートレートと街の風景を組み合わせていた。
一方、今回は、一部にそれらと同じ傾向の作品を含めながらも、全体には、台湾の歴史をテーマとした作品構成になっている。より具体的に言えば、1895年-1945年の日本統治時代の台湾が主題である。
つまり、日本統治下の何らかの痕跡が写真に関わっている。
もっとも、ここが極めて重要なところだが、波多野さんは撮影時に、コンセプトとして、日本の植民地時代の遺産の痕跡を被写体に求めて撮影したわけではない。
そうした問題意識はもちつつも、旅行者として台湾を訪れ、街や人を撮影しているのである。
今回、波多野さんが歴史をテーマに据えたのは、台湾訪問時に出会った老人が日本統治時代を懐かしみ、日本に対して、ふるさとのような思慕を抱いていたことが契機になっている。
この体験におけるポストコロニアルの複雑な関係が、波多野さんの関心を台湾の歴史へと向かわせた。
もっとも、先に書いたように、波多野さんは日本の支配の痕跡を求めて街を歩いたわけではない。
結果として、展示された作品のいくつかにおいては、日本統治の歴史との直接的な関係は提示されていない。
半面、別のいくつかの作品では、撮影時には分からなかったものの、何らかの違和感、引っ掛かりを感じた波多野さんが後になって調べて判明した日本の植民地支配の痕跡がキャプションとして示されている。
それらの日本にまつわる痕跡は、例えば、軍隊の訓練場、東南アジアで集めた種子の研究施設、台湾総督府の共同墓地、かつて「台湾の箱根」と称された場所などである。
作品には、日本人がノスタルジーを感じる古き台湾、かつての日本を想起させる風景が数多く写されている。
異国に他者性を見るエキゾチシズムが差別的、短絡的な世界認識として危険であるように、甘美で感傷的なノスタルジーも植民地の歴史を曖昧化し、危険である。
筆者も、波多野さんの作品の、かつての日本を彷彿させる路地にノスタルジーらしきものを感じるが、それはある種、正体不明の、身勝手な喪失の感傷にすぎない。そこに、まなざしの欲望、暴力性がある。
かつての日本っぽく、同時にそうではない風景、既視感、懐かしさとともに映し出される亀裂のような違和感…。
台湾の街のそこかしこに植民地時代の歴史の痕跡が残されているが、それらはありきたりの日常性によって薄められる。
そこに台湾の風景にまなざしを向けるときのエキゾチシズムとノスタルジーの暴力性、都合のいい欲望への誘惑が潜む。
そのことに波多野さんは自覚的である。意図して、堆積した時間の、見えない皮膜の層を私たちに差し出すのである。
波多野さんの作品が単なる歴史の告発、コンセプトに終始していないのは、やはり、最初から、日本統治下の被写体を狙って撮影したわけではないからだ。
このことは、決定的に重要である。私たちは、波多野さんの写真から、見つめ返されている。世界が私たちに問うている。
見えているものと、見えていないもの、写真家が意識していようが、していなかろうが、その落差が見る者を見つめ返してくる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)