ギャラリーヴァルール(名古屋) 2021年10月12日〜11月6日
鮫島ゆい
鮫島ゆいさんは1988年、京都府生まれ。 2010年、京都精華大学芸術学部版画専攻卒業。ヴァルールでは初めての個展となる。
略歴によると、個展、グループ展を精力的に開いている。筆者は見るのが初めて。本人への取材もできていないので、この原稿も、作品および一般に公開されている情報に基づいている。
鮫島さんのステートメントによると、テーマは「みえるものとみえざるものをつなぐこと」。ジャンルは絵画がメインとなる。
目に見えないものというのも、物理的なもの、哲学的なものなどさまざまだが、ここで言っているのは、普段は意識されないが精神に根付いたもの、見えてはいないが自分が感じるもの、物に宿るもの、アニミズム的なものと想像される。
美術を通じて、視覚的に見えるものだけでなく、そこから見えないものを感知してもらうということなので、それ自体はオーソドックスではある。
むしろ、独特なのは、その方法にあるだろう。
鮫島さんの制作は、「依り代」と呼ぶ小さな立体物を制作することから始まる。
「依り代」とは、神霊が憑依する樹木や自然石などの物体を指す。彼女は、まずそうした小立体を仮想的につくり、その見て触れられる物からイメージを広げていく。
そのうえで、それらのイメージの断片を組み合わせて、絵画として構築していく。イメージの断片には、実在的なものだけでなく、架空なものもある。
つまり、「依り代」という仮想の「ご神体」からイメージを広げ、もう一度、それらをモンタージュしてイメージを再統合する。
その際、描く支持体は、多くの場合、鋭角的な二等辺三角形のようなシェイプトキャンバスである。
このイメージの断片のことを、鮫島さんは「呼び継ぎ」と読んでいる。
「呼び継ぎ」とは本来、割れた器を直す金継ぎ技法のひとつで、修復したい器の破片が足りないときに、全く関係のない他の器の破片で欠落部分を埋めて直すことをいう。
つまり、これらから考えると、鮫島さんの作品は、離れ離れのイメージの断片が互いに呼び合うように1つのイメージになっているともいえるだろう。
もつれるルーパ
今回は、油彩、アクリルによる絵画に加え、フレスコによる小品のシリーズ「装飾の欠片」も出品された。
確かに、鮫島さんの作品を見ると、関係のないようなイメージの断片が出合い、継ぎ合わせられたように構築されている。
具象、抽象が交じりながら、絵画空間が入り組んだ構造になって謎めいている。
小立体の「依り代」を端緒とした、見えるものと見えないもの、言い換えると、実在的なイメージと架空的なイメージが画面上で共存している。
それらは互いに異世界だが、1つの絵画空間になっている。
同時に、それぞれのイメージの断片は互いに境界で区切られ、一部でつながりをもちつつも、1つの空間として完全に溶け合うことはない。
再統合されたそれらは、境界によって区切られたものとして1つの絵画空間になっているのである。
それは、あたかも、呼び継ぎによって、離れた器の断片が漆で再接合され、金粉装飾されたようである。
つまり、死んだ器を彼岸から此岸へとよみがえらせる呼び継ぎが、再生のあかしとして境界線をもつように、鮫島さんの絵画も、呼び寄せられたイメージの断片が境界とともに新たな風景を見せているのである。
作品の断片的なイメージは、多様である。人物や顔、アクセサリー、蛇、植物、器など具体的な形象のほか、しなやかなストロークやうねる曲線、抽象的なイメージや空間もある。
シェイプトキャンバスは、作品が絵画でありながら、同時に物体であるような印象を強めるのに一役買っている。
矩形でないキャンバスは、たとえサイズが大きくても、欠片のような印象を与える。
呼び継ぎのように区切られたイメージが寄り添いあった作品の外側に、神秘に満ちた多次元性と多様性、不可視の世界を暗示するようである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)