L gallery(名古屋) 2023年6月10〜25日
湯浅未浦
湯浅未浦さんは愛知県豊明市出身の彫刻家。東京藝術大で彫刻家、深井隆さんから学び、2004年に同大学院彫刻専攻を修了。同市が制作拠点である。
L galleryでは、2年ぶり4回目の個展となる。作品については、2019年のL galleryの個展レビューや、2021年の個展レビューも参照。
素材は樟。人体のイメージがあるものと、そうでなく、肉の塊のように見えるものなど、さまざまなバリエーションがある。
いずれも、大きく、あるいは小さく律動するような隆起と落ち込みによって外と内がうねるような動きを持っている。
それゆえ、乾いた樟が血管とも肉片とも、あるいは内臓とも思えるような生々しさを宿しているように見える一方、逆に、抉られたような形状が死へと向かいつつあるような印象を与えもする。
そこでは、素材としての樟も、そこから彫られた形も、いずれもが、生と死を往還しているのである。
そうした有り様は、制作過程で、素材の外と内をひとつながりの塊として、手による触覚性によって、まさぐるよりもさらに執拗に、舌で素材を嘗め尽くすように彫っていく感覚と無縁ではない。
この作家が素晴らしいなあと思えるのには、単に作られた人間の似姿が生きているようにも死んでいるようにも見えるのみならず、素材そのものが生きているようにも死んでいるようにも見える、つまり、生と死を反転し続けていることが大きく影響している。
呼吸のカタチ 2023年
湯浅さんは、表面を作りながら、常に内部への意識を持っている。今回の個展は「呼吸のカタチ」と題されているが、呼吸とは、生きるための生物の外界と内界とのやりとり、個の生命と宇宙原理との交感である。それは瞑想を考えると分かりやすい。
それゆえ、呼吸とは生命の源、魂そのものであり、同時に宇宙とつながっている。湯浅さんは、「形自体も呼吸している」という言い方をしている。
そして、呼吸、すなわち、生きることを意識することは、死を意識することでもある。だから、湯浅さんの作品は、そうした形として、素材として、生死を行き来するのである。
だから、タイトルの「呼吸のカタチ」とは、いのちなるものが形として現れたものであると同時に、単なる肉体を超えた「魂のカタチ」と言ってもいいだろう。
湯浅さんは今回、モーツァルトの調べにのせて、指に付けたインクや絵具を紙に直接ドローイングをする作品を初めて出品している。
彫刻を作るのとは異なり、より感覚的、即興的に音楽の呼吸と自身の呼吸の歩調を合わせているようである。
そして、無心でひかれる線は、空間を自在に、軽やかに舞い、彫刻とは違う感触を生み出していく。この試みが、樟を彫るという湯浅さんの制作にいい影響を与えているようだ。
今回の主要な作品は、人体のイメージがある「纏」、巨大な肉の塊のような「内から内へ」である。ともに、湯浅さんの作品の特徴をよく表している。
内から外へ、そしてまた内へと、せめぎ合うように絡まる生のダイナミズムと、そこに内在した死への時間である。
「纏」は、うつ伏せになった下半身である。左脚は枝のように伸びきり、体全体が身体とも素材である樟とも判然としない姿である。
生々しい隆起と割れ目があり、あるいは、ただれたように変形した箇所もあり、ある意味で、とてもエロティックであると同時に崩壊していくという過程にあり、極めてグロテスクな作品である。
体はところどころで裂け、抉られ、あるいは崩れ、それでありながら、同時に筋肉や血管の張りもみなぎっているのだ。
ある部分では、細く痩せ細り、生気を失いながら、別の場所では、肉の塊そのもののような部分が腫瘍のように発生し、内と外がうねりながら、生と死が葛藤するように循環している。
まさに、その異形の姿には、形なきところから形が現れ、そうかと思えば、その形が絶えることなく崩れ、その形を自らの中に埋没させるような、成長、膨張と、滅び、朽ちゆく姿が一つになって凝縮されている。
それは、肉塊のような作品「内から内へ」でも同様である。「纏」の中でうごめいていた生と死がより抽象的に、より根源的に提示されているようである。
生滅流転のその姿に接する時、生とともにある死、死とともにある生が、宇宙との交感の中で、形と形なきもの、運動と静止、秩序と無秩序、熱と冷をたたえながら、そこに在ることを知るのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)