ケンジタキギャラリー(名古屋) 2020年11月14日〜12月12日
吉本作次「巨木信仰」
吉本作次さんは1959年、岐阜市生まれ。名古屋芸術大を卒業し、1980年代から活躍している。
現在は、名古屋芸術大美術領域洋画コース教授として、若い世代の育成にも貢献している。
筆者は、新聞記者として美術を見て回った1990年代から作品を見ている。
本展には、新作の油彩画を中心に15点が展示された。テーマは「巨木信仰」である。一部にテンペラ、木炭なども使っている。
深山幽谷の日本では、圧倒的な存在感を見せる巨木に神が宿ると考え、御神木として崇めた。そこに霊威、神域、結界を見てきたのである。
吉本さんの絵画では、そうした雄々しい巨樹の太い幹が下から上へと伸び、ウロ、樹洞というのか、神域、結界を象徴する幹の裂け目が印象深く描かれている。
枝葉は脈打ち、うねる襞のように鬱蒼としている。樹洞、あるいは、幹の周囲の深い森は、闇の奥へと視線を誘う。
神々しい気配、不穏さを感じさせる作品である。
アートラボあいち(名古屋)で2020年1、2月に開かれた 「化現の光」展で展示された1点を除いて、新作。大作を中心に見どころの多い展示になっている。
吉本さんの絵画はとても豊かである。
作品の主題、内容はもとより、線や形とイメージの多様な関係、古今東西の絵画からのおびただしい引用、イメージの強さとさまざまな仕掛けが、見ることの愉楽へと誘うからである。
吉本さんが過去の巨匠の作品を引用するとき、ある1つの作品を盗用するわけではなく、いくつもの作品から形式、構図、筆法、表現などをさりげなく実験的に取り込む。
絵画平面という制約の中に別の世界が存在するのが、絵画の絵画たる所以だが、吉本さんも積極的に、さまざまな空間操作を仕掛け、異次元のもの、さまざまな洋式、視点、筆法を取り入れている。
和歌における本歌取りのように、あるいは、絵画のさまざまな文体のパスティーシュであるかのように異種交配し、それらが響き合う重層的な1つの作品に統合するのである。
吉本さんの絵画は、おびただしい引用からなるゴダールの「映画史」に似て、吉本さんによる絵画史への考えの表明であり、敬意と愛着によるオマージュである。
17世紀オランダ風景画も、ニュー・ペインティング風の描き方も、中国絵画風の描写も、洒脱な漫画のような簡略化した人物も・・・全てがそうした素材である。
吉本さんの作品の色彩は、おおよそ緑、黒、白、茶などのバリエーションで、吉本調ともいっていいほど特徴的だが、同時に穏やかである。
画面を駆動させるのは、どちらかと言えば、変化に富んだ線描、筆勢だと言っていい。
線の力、魅力によって、西洋絵画と中国絵画、具象と抽象、内容と形式など多様な要素をシームレスに両立させている。
今回は、濃密に描き込んだ作品が大半だが、薄塗りによって比較的即興性を感じさせる作品もある。
パネルにピンで留めた作品など、アトリエで描いているときの雰囲気をそのまま画廊空間に届けた感じの作品もある。
余白の美しさも改めて確認できた。
「巨木」という土俗的なテーマながら、全体が重くならないよう、余白や、軽妙な漫画の表現など均衡をとる部分もちゃんと用意している。
全体の情景は大胆かつ繊細に組み立てられ、ほんの小さな部分の線の動き、表情、描写でも楽しませる。
「化現の社の杉」
これは、「化現の光」展で展示された作品である。
大きく開いた裂け目の奥に闇が抱えられ、視線を導き入れる。中には、ほのかに緑の襞が見え、樹々が入れ子構造になった異次元の世界があるように思える。
幹の上にある緑の襞は、小枝に付いた葉にも見えるが、切り裂かれた幹の内部空間が剥き出しになった感じもする。
今回の吉本さんの作品では、このように幹の裏側が反転し、内部の襞状構造が表面に裏返ったイメージが目立つ。
彫刻家の戸谷成雄さんの作品を連想する表現でもある。
樹皮の内部に折り畳まれた襞構造と深い闇が見られ、戸谷さんのミニマルとバロックの緊張関係が連想される。
「宴会のお誘い」
「宴会のお誘い」は、画面を3つに分け、真ん中をそっくり余白にしている珍しい作品である。
右は、宴会への招待状が届く場面、中の余白を大きくした部分は、招きを受け、歩いて訪問する場面、左は、鬱蒼とした森の中の宴会場で酒を酌み交わす情景である。
右から左へ物語が展開する絵巻物と言ってもいいし、3こま漫画と言ってもいい作品である。
特に、真ん中の余白の中を、馬を引いた男性が歩いて行く姿に洒落っ気があって、とてもいい。
画面右の直線で面取りされたキュビスム的な岩壁の表現、その最上部と画面左の最下部にある、もくもくと湧き起こる雲のような表現は、吉本さんの作品で、しばしば見られるものだ。
雲の表現は、地平線を低く、空を大きく描いた17世紀オランダ風景画を本歌取りした以前の絵画でも、印象に残っている。
とりわけ、真ん中の余白と対照的に、左右の森の枝葉が細密描写され、細かい皺、襞が描かれているのが注目される。
グロテスクで、よく見ると、木の幹、枝がえぐった内部空間のように描かれ、表なのか裏(内部)なのか分からない。表でもあり、裏でもある感じである。枝が穴(別の空間の入り口)に入り込んでいるところもある。
表と裏が反転したたような濃密な襞構造は、やはり戸谷成雄さんの彫刻のバロック的な表現を想起させる。中国絵画の描法を取り入れているようである。
「風景画の道行き」
ピート・モンドリアンの代表作「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」を本歌取りしている。元の絵は、縦横の黄色の線と矩形の赤、青で構成されたカラフルな作品である。
マンハッタンの碁盤の街区や、ブギ・ウギのビートやリズムの影響があるとされる。
吉本さんは、矩形の部分に、自分の絵画のミニチュアを描いている。つまり、入れ子構造の画中画である。西洋美術でも日本美術でも使われてきた方法で、入れ子構造は、劇中劇などの形で現代演劇でも、よく採用される。
ミニチュア絵画の中にさらに別の絵画が描かれた入れ子の作品もある。それらは独立した絵画として、しっかり描き込まれる一方、全体の構成と響き合っている。
画面の小さな矩形には窓があり、建物に見える。その一方で、画面を区切る抽象的なラインが道になって、人が歩いている。そこには、鑑賞者から見ると、水平方向の視線が俯瞰的に変化するなど、興味深い視点移動もある。
下描きのような線(路地だろうか)にも、男性が歩いていて、雨(画面の傷のようである)を避けるため、傘をさしている。
こうした落描きのような要素も大事にしているのが、なんとも楽しい。
「聖家族」
クラナッハの「 エジプトへの逃避途上の休息」を引用した作品である。構図はそのままに、漫画風の人物が吉本さんらしい。
聖母マリアの膝の上にいる幼子イエスが両手を伸ばしている先にはあるのは、おもちゃの車である。
吉本さんの遊び心、イタズラ好きが発揮されている。
巨木をテーマにした今回は、いつも以上に、絵画の中に異世界、異空間が挿入され、霊気が漂っている。
幹に大きく開いた裂け目、樹洞は深く、深い森の中の穴とともに、異空間への境界に思える。
硬い幹とは逆に液状化したような空間も見える。例えば、異次元への通路のように感じられる樹洞の中では、グリッドが歪み、河原温の浴室シリーズを想起したりもする。
あるいは、騙し絵とでも言うべきか、キャンバスの表面をつまんで引き上げるように描いた突起物も目立つ。
その横では、雲のような柔らかな形態、滑らかな曲面や、水平線と垂直線で区切られる構成、渦巻きなど、さまざまな表現、質感、空間が混在する。
全体を味わい、細部に見入ってしまうのが吉本さんの絵画の魅力である。
存分に楽しめる、充実した展示である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)