愛知・豊田市美術館ギャラリー 2021年6月3〜12日
令和元年度豊田芸術選奨受賞記念
令和元年度豊田芸術選奨受賞記念の山本富章展が2021年6月3〜12日、愛知・豊田市美術館ギャラリーで開かれた。
なお、2021年秋に行われた「ながくてアートフェスティバル」での山本富章さんの展示も参照。
副題は「Bugs and Rings」である。
山本さんは1949年、愛知県生まれ。愛知県立芸術大学大学院油画専攻を修了。1979年から2015年まで、同大学で後進の指導にあたった。
2003年の年末ごろ、木製ピンチ(洗濯ばさみ) を46個連続させるとリングになることに気づいた。
その46という数字が人間の染色体の数と一致したことが啓示のようなものとなって、山本さんにピンチによるシリーズを展開させることになった。
今回の記念展では、副題どおり、ピンチによる《Bugs》と《Rings》が紹介されている。
1990年代の記憶から
筆者が山本さんの作品に触れたのは、作品のスケールが大きくなって、構築的なインスタレーションへと展開した1990年前後である。
赤、ターコイズ、黒、金などの粘度の高い絵具のドット(斑点)が建造物のように組まれた支持体に散りばめられ、祝祭的な華やかさを喚起した。
初めて作品を見たのは、バブル期の1990年、アキライケダギャラリーが主導し、幕張メッセ(千葉市)で開催した国際的な大展覧会「ファルマコン90」である。
その後は、中日新聞で美術記者になって間もない1996年、名古屋市美術館で「天と地の間に—今日の日本美術展II」(タマヨ美術館に巡回)、アキライケダギャラリーでの個展や、大分市美術館(2003年)、豊田市美術館(2016年)、碧南市藤井達吉現代美術館(2016年)での個展を見てきた。
1990年代後半には、それまでのアーチ状や柱状などのまとまった構築的な作品から、分離されたフラグメントが空間的に広がるインスタレーションへと移行しつつあった。
1999年のアキライケダギャラリーでの個展では、ドットに覆われた円柱状の物体が壁から突き出るように飾られたインスタレーションになっていた。
ピンチの展開へ
そうした空間的な方向が顕著となる過渡期的な時期に、その後の作品への予兆が現れていたといえるのかもしれない。
堅固な構造から極小のピンチの作品への変化は、視覚的な強度としては断絶的に見えながら、うごめくようなドットの色彩によって、絵画性と構造、空間性(3次元性)というテーマを追究している点では一貫している。
90年代までの作品の過剰性、官能性、装飾性を伴った華麗なドットの展開が、ある種の静寂、気品、崇高さにもいざなったことを思い返すと、それは、まさしくピンチの作品にも引き継がれている。
ピンチを使った作品では、その膨大な数の断片の1つ1つを微小なドットで包むという繊細な作業が途方もなく続く。
堅牢な構築物から、ピンチという断片に移行しながらも、地に対する斑点がレイヤーを生み、その連なりが色彩のウエーブのようになって、絵画性と空間のあり方を指し示すということでは変わらない。
Bugs and Rings
今回は、シリンダー(円筒)状に重ねて壁に設置するタイプとパネルを壁面に並べ、そこにピンチを展開させるタイプの2種類が展示されている。
サブタイトル「Bugs and Rings」のBugsは、虫という意味である。コンピュータープログラムで悪さを働く虫という意味から派生したエラー(バグ)という含意もあるのかもしれない。
《Bugs》は、白と黒という二項対立や、連続的な色彩でなく、ドットを載せたピンチ(情報)が不連続な符号としてと、空間や平面に展開することから、デジタル化時代を意識した作品だと、山本さん自身が語っている。
今回展示された《Bugs》(2019年)は、ギャラリーの長い壁に、高さ243センチ、横61センチのパネル22枚を展開させた長大な作品である。
ピンチを豊田市美術館のガラス面に展開したインスタレーションなどと比べると、絵画的な方向に回帰しているともいえる。
ピンチの数は全体で2000個ほどにもなるというから、気が遠くなる。パネルは、3つがつながっている部分と、1つずつ等間隔に分離している箇所がある。
ピンチのほとんどは白黒だが、わずかに赤が交じる。地に対して規則的に配され、不連続性によってデジタルの世界観を暗示しつつも、麻布地がどこか温かさも感じさせる。
小さなピンチにほどこされた極小の斑点がかすかな揺らぎのような律動を生み、さざなみのように空間に作用するのが特徴である。
それと向き合う壁にあるのは、3文字または4文字の空港コードと、素数の特質を使った情報セキュリティーとしての暗号概念から着想された作品である。
メタリックカラーの矩形パネルによって、デジタル文字をイメージしたアルファベットを構成。3文字、または4文字を組み合わせた3点の作品が並んでいる。
《KTHR》(2019年)は、山本さんの出身地である愛知県宝飯郡形原町(現・蒲郡市西部)の「カタハラ」から取られ、《OIT》(2019年)は、2003年、山本さんが大規模な個展を開催した大分市美術館の「オオイタ」、《ISK》(2019年)は、形原町の字名の「一色」(イッシキ)を表している。
それぞれの場所からイメージされる色彩によるメタリックな地にピンチが展開する作品である。
一方、《Rings》の作品では、外と内のリングが二重になった《Double Rings》(2020年)と、縦に2つのリングが並んだ《2007》(2007年)が展示された。
これら壁に掛けられた《Rings》は、1990年代末ごろに見られた短い円柱状の作品と比べても、より軽やかで、鑑賞者の位置、距離によって見え方がスリリングに変容する。
とりわけ個々のリングの差異、重なり、空隙、円弧の微妙なずれ、連続するドットのつながり、断絶によって、揺らぐような動きと視覚作用を見せてくれる。
絵画の本質的な要素を地に対する色彩のドットという方法でさまざまに変奏させながら、平面的な絵画では体験できないボリュームや構築性、空間性、視覚性を探ってきた。
極小化、断片化を仕掛けながらも、空間への色彩の展開が視覚をはじめとするさまざまな感覚に及ぼす純粋な作用を《絵画》の可能性として広げてきたといえるのではないだろうか。