ギャラリーA・C・S(名古屋) 2023年10月14〜28日
山本近子
山本近子さんは1960年、岐阜市生まれ。名古屋造形芸術短大で、版画家の野村博さん(1923〜2008年)から版画を学んだ。岐阜市を拠点に制作している。
野村博さんは、主に1950〜70年代に版画家として活躍し、名古屋の文化の再興を図った。名古屋造形芸術短大には1969〜1982年、非常勤講師として勤務。野村さんについては「版画家・野村博と『夕刊新東海』」の記事、 版画家の坪井孟幸さんの記事も参照。
山本さんは、エッチングを中心にドライポイントを加えて制作している。A・C・Sでは、画廊創設期から作品を発表してきた。2021年の個展レビューも参照。
2023年 個展
モノクロームの形象が、徹底して白い地に対して、はっきりと確認できる作品である。2021年の個展の作品と比べると、柔らかさが増している印象である。色彩も青っぽく、優しく見える。
微細な細胞、胞子、あるいは気泡のようなものが、とても繊細に蝟集し、1つの形象をかたちづくっている。集まっている小さなものが静かにうつろいでいる。
その動き、すなわち、形象に宿って、形を形たらしめている密なものが発散されていくような感覚、静かに弾けるような、あるいは、かたまりから離れ、横へと、下へという流れや、上への浮遊が見て取れる。
潔いほどに飾り気がなく、プリミティブな世界だが、いつもながら、丁寧な細かい作業を積み重ねたことが分かる作品である。ミクロの世界で起きている生命活動のように、一方で輪郭をつくりながら、他方でそれが溶解するような印象である。
今回の個展に寄せた山本さんのコメントが興味深い。一見、なんの関係もないような、山本さんが見た大工道具の展示の話から、そこにあった世界最古の木造建築・法隆寺を建てたときの復元道具について語られる。
山本さんが、銅板腐食痕の凹部のエッジを削る際のスクレーパーは、法隆寺建立でも使われたであろう槍鉋に似た道具である。目と手、精神によって、手堅い作業に際限のないような時間が注がれ、作品が生み出されていく。
この地道で途方もない、鑑賞者には見えない作業があってこそ、一つ一つの粒子が現れつつ、消えゆくような、存在することと、存在しないことの、あわいの感覚が生成されるのである。それは手早く、線を引き、色彩を付けるというものではない。
今回の個展では、すべての作品に「青の過去と未来」というタイトルが付いている。
「現在」という刹那は常に更新されて連続していき、たちどころに現在は過去となり、わずか先の未来は、現在、過去へと流れていく。それは、すべての人間が、現在にしか生きられないということでもある。
先ほどの法隆寺の話で言えば、創建された飛鳥時代を含む、遥かな昔からの歴史の中で、いのちの存在がつながり、おびただしい人間の心の中の宇宙が、未来から現在、過去へと流れ、自分自身もまた、一瞬の現在を生かされている。
山本さんの形象は、自分という存在、いのちとは何であるかという問いかけと、さほど違わないのではないだろうか、とふと思う。
自分を生かしているなにか、いのちの力が体の中にあって、生命を存在させている。蝟集し、あるいは、拡散し、また別の宇宙で集まりだす。そんな感覚のある神秘的な形象がここにある。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)