ギャラリーA・C・S(名古屋) 2021年9月25日〜10月9日
山本近子
山本近子さんは1960年、岐阜市生まれ。名古屋造形芸術短大で、野村博さん(1923〜2008年)から版画を学んだ。
野村博さんについては、「版画家・野村博と『夕刊新東海』」、 版画家の坪井孟幸さん の記事も参照。
野村さんは戦後、新聞記者をしながら、版画家として、名古屋の文化の再興を図った人。
彫刻家の野水信さん、洋画家の真島建三さん(画家・真島直子さんの父)、前衛写真家の後藤敬一郎さんらと朱泉会というグループでも活躍した。
山本さんは、岐阜市を拠点に制作する一方、愛知県立芸大で学生にシルクスクリーンの技術指導をしている。
2021年 ギャラリーA・C・S
A・C・Sでは、画廊創設期から長く作品を発表してきた。防蝕剤となるグランドの操作によるエッチングを中心にドライポイントを加えた表現である。
モノクロームでイメージ自体はシンプルに見えるが、近くで見ると、実に繊細で、空間の中に存在する確かさと深度が看取される。
こうした見え方は、表に現れない制作過程の地道な作業によるところが大である。銅板を徹底して磨くことを含め、ストイックな積み重ねが生きてこそ生まれるものである。
グランドの上からスポイトや注射器、刷毛、筆で溶剤を落とし、銅板の腐蝕を繰り返すが、虫の目で銅板を見て、凹部のエッジをスクレーパーで削るのも、そうした途方もない作業の1つである。
凹部のエッジが取れることで、境界線が緩やかに広がるような微妙な表情を生む。いわば、かちっとしたシャープな輪郭でなく、空間と浸透しあうような印象を帯びる。
微細なものが集合し、深みをもったイメージは、それ自体が呼吸し、空間との間で相互に作用しあっている感覚だ。
その後は、一部にニードルや、たがねによるドライポイントをアクセント的に施し、仕上げる。
銅板の磨きとともに、プレス機で加圧する前にインクの拭き取りを徹底するのも山本さんの制作の要諦である。
それによって余白が際立つ。余白が強くなれば、つまり、無が絶対化されれば、それだけ有の存在も意識される。
山本さんは、余白に油膜が残ることでインクのニュアンスが無の絶対性の邪魔になることを回避している。絶対的な空間の白がイメージの存在感を引き立たせ、スクレーパーで輪郭をぼかした効果も高めてくれるのである。
そのイメージは、新陳代謝など何らかの生命活動の一端のようでもあるし、細胞の拡大図のようでもあるし、宇宙空間に浮遊する星雲のようでもある。
山本さんの作品のイメージが、生命現象、あるいは宇宙の天体に見えるのは象徴的である。
というのも、山本さんの制作の根底に、自分という存在は何からできているのかという問いかけがあるからである。
山本さんが、最近訪れた福井県年縞博物館(福井県若狭町)の「年縞のステンドグラス」に魅せられたというのも、頷ける。
展示されているのは、水月湖の湖底から採取された7万年分にもなる年縞(泥の堆積層)で、その長さは45mにもなるという。
そこには、人類がどのように誕生し、自分自身はなぜ現代を生きているのかという、山本さんの思いに通じる神秘がある。自分の身体と記憶を構成する時間の堆積である。
シンプルながら、強さと繊細さを併せ持ったイメージは、自身自身の有限性とそれを意識するがゆえに想起される無限性を見据えたときの生命と宇宙の形象であろう。
それは確かに空間の中に存在し、重力を感じさせながら浮遊している。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)