AIN SOPH DISPATCH(名古屋) 2021年6月5〜26日
OZ—尾頭—山口佳祐個展
山口佳祐さんは1986年生まれ。長野県在住。OZは、ライブペインティングのときのアーティスト名で、大絵馬を神社に奉納するときなどのために「尾頭」の雅号が付いている。2019年の同じ画廊での個展レビューは、「はざまもの OZ—尾頭—山口佳祐個展」を参照。
アクリル絵具に土や粘土を混ぜ、支持体に塗った骨太の抽象絵画を制作する一方で、繊細な浮世絵風の作品も描くなど、とても器用である。
幼い頃から絵に親しみ、日本の歴史、伝統文化や古美術、土着性を吸収。独学で描いてきた。
10代中頃以降、ライブペインティングをして全国を回り、その後、店舗の内外装の仕事にも進出。米ニューヨークの画廊など、海外にも自ら道を切り開いて渡航するなど意気盛んである。
2011年、長野市の武井神社に奉納した大絵馬「御柱大祭行列図」など絵馬の仕事や、「パークホテル東京」の客室を装飾する「Artist in Hotel」(2016年)への参加など、幅広く活動している。
おほもの OJOMONO
2年前に同じ画廊で発表したときのタイトルは「はざまもの」で、「はざま(間)」をテーマにしていたが、今回のタイトルの「おほもの」は、スペイン語で目を意味する「おほ」(ojo)から取られている。
いずれも、アクリル絵具で描かれ、金地に、浮世絵風というのか、時代劇風というのか、侍や山伏などのイメージが、引用や多種多様な描法を駆使して表出されている。
とりわけタイトルになっている目の部分が繊細、写実に描かれている一方、それを除いた部分は大胆に変形され、絵具の筆触やにじみ、円形、不定形などに置き換わっている。
また、人物像とそうでないもの、具象性と抽象性、形象と絵具の物質性がせめぎあうような境界域で画面に定着されている。
一部の作品の目の部分は、時代劇俳優など有名人の顔から引用してリアルに描いているようだ。
人物のイメージのポーズ、姿、顔、描法などに、浮世絵をはじめとする日本の伝統絵画や、現代のイメージが引用・流用され、それらの要素が合成されている。
とりわけ、山口さんの場合、絵画を描く様式、描法がさまざまにリミックスされ、同居している。
下地は、アクリル絵具で黒く塗り重ねた後、金色を載せている。金色の濃淡によって、下層の黒地が透けて見え、奥行きとわずかな動感を生んでいる。
日本の伝統絵画なら金箔を使うのだろうが、山口さんの作品はあくまで絵具を塗り重ねた地のレイヤーによって絵画空間をつくっている。
メインの作品のモチーフのポーズは、幕末から明治中期にかけて活動した浮世絵師、月岡芳年の連作浮世絵「月百姿」から引用しているというが、モチーフや下地は日本風でも、全く異なる作品になっている。
立体的な陰影、ベタ塗り、大胆な筆触、浮世絵風、漫画風、映像的、飛沫、にじみ、輪郭の強調、即興性、幾何学的な抽象、アンフォルム、吹き付け、マスキング、拭き取り、絵具の盛り上がりやクラック・・・。探究心からか、オリジナルの道具や多様なメディウムを使って、実験をしていることが分かる。
できあがったイメージは、人間をモチーフにしながら、必ずしもそうともいえない異形の姿である。
全体には和のテーストではあるが、それを超えたセンスが際立ち、随所に見られるユーモアとともに自在な解釈を誘う。
これまで顔の細部や表情を描かなかった山口さんが今回、目に注目したのは、コロナ禍で誰もがマスクで顔を覆っている状況があるらしい。
確かに、見る、見られるの関係や、意思の伝達、感覚の器官として目の存在感が増している気がする。
併せて、強調したいのは、山口さんがかねてから重視してきた日本の土着性や歴史である。
展示された作品は、いずれも「ひとうみ」の連作だが、これは日本神話の国土創生譚である「国生み」と関係がある。
「国生み」が日本の群島ができた神話なら、「ひとうみ」は、人間はどこからきたのか、人間とはなんなのか、というイマジネーションが背景にある。
自然万物にカミが宿るという宗教観、アニミズム的な世界観が、山口さんの作品の根底に見える。
人間が存在する見える世界と見えない世界。山口さんは一貫して不可視のものに思いを馳せている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)