Gallery HAM(名古屋) 2024年10月12日〜 11月16日
山田七菜子
山田七菜子さんは1978年、京都府生まれ。制作拠点は大阪。VOCA展で奨励賞を受賞。東京オペラシティアートギャラリーの若手作家育成展覧会シリーズ「project N」にも出品した。
名古屋では、ギャラリーハムで発表を続けている。近年は、2020年、2021年、2022年に個展を開いた。これらのレビューも参照していただけると、山田さんの絵画への真摯な姿勢が見て取れるはずである。
山田さんの絵画は、具体的なモチーフを描きながら、大胆なストロークと不穏な色彩の充溢によって、混沌たるエネルギーをはらんでいる。それは世界と人間存在との関係、その神秘を探るような試みである。
モチーフとしては大地や湖沼、海、空、植物、人物など多様である。だが、分節された「もの」を意味として、概念として再現するのではなく、むしろ画面はさまざまな要素の残骸、瓦礫のようである。それはゲシュタルト崩壊と言ってもいい世界である。
ただ、それこそが、山田さんが絵画空間と向き合うことで、世界と人間存在の関係を捉えようとしているあかしとも言えるのではないだろうか。その絵画空間は原初的で謎めいている。荒涼とし、構築することがそのまま破壊であるような世界になっている。
還流するような画面の生々しさの奥には、生の痕跡や苦しみ、その記憶や傷がかくまわれている。
山田さんが絵画にかくまわれたものとして口にする、大地に沈んだ「石」や、肉体からはみ出た精気としてのエネルギーである「おばけ」(ファントム)は、顕在的な世界のシステムに惑い、収まることのできない、傷ついた無垢なる痛みともいえるのだ。
2024年 祈り探し
作品のサイズを抑えた前回と比べ、今回は比較的大きな作品から小さなものまで幅広い作品が展示されている。
開いた口を画面に大きく描いた一連の作品がある。上下に歯が並んでいて、顔は分からない。大きく開いた口、歯も、そこに明瞭な意味があるわけではない。類似のモチーフはこれまでもドローイングや油彩画に登場しているという。
顔はなく、口だけがある。そして、口の中に向こう側の世界に抜けるような空間がある。洞窟のようなその空間に植物や廃墟のような風景画や肖像画が融合している。なんともグロテスクな作品だ。
また、フランスの作家、ルイフェルディナン・セリーヌ(1894-1961年)の「なしくずしの死」の登場人物、マダム・デ・ペレールをモチーフにした小品も印象深い。
創作にはきっかけが必要である。絵で言えば何を描くかである。山田さんは抽象画を描いているわけではない。具体的な世界から何かを抽出しているわけでもない。
そうかといって、具象的なものを描くことでメッセージや意味、感情を表出しているわけでもない。言うなれば、インスピレーションの連鎖の中で具象物が描かれ、構築と解体を通して、その一体化、混沌、残骸の中から純粋に造形性、絵画空間を探究している。その絵画空間とは山田さんにとって何なのか。
ここでは個展のタイトルの「祈り探し」という言葉から考えてみる。山田さんの中では既に長く温められてきた言葉である。
山田さんにとって、描くことは「祈り」の行為と重なる。祈りとは、、世界(空間)と向き合うこと、ひいては人間を超えるものとの内面的交通、接触、対話である。
しかし、それは揺らぎを伴う。自分の思い、考え、感じていることがまやかしではないのか、惑わされているのではないか、何かに誘導されているのではないか⋯。
自分に矢印を向けることから起こる、その揺らぎがあるからこそ、山田さんは、自我の錯覚、思考、感情、無意識と、無我、宇宙、無常のあわいで描くことができるのではないだろうか。
このこと自体が、筆者は、山田さんの絵の魅力だと思う。抽象的な、絵画の形式のための絵画でなく、モチーフの再現に逃げるのでもなく、さりとて、自我を自分のアイデンティティーだと錯覚して表出させるのでもない。絵画空間を追求しつつ、自我と無我を往還しながら祈っているのである。
自我とは自分の存在価値、自己中心、自己正当化である。人間は、程度は違っても、それをベースに生きている。それが集まって、システムとしての人間社会がある。そこから離れ、浄化しようとすれば、問いかけが自己に返ってくる。
そこから、「私」(自我)でなく、「あなた」として祈ることへと向かう。自己に返ってきた問いが、人類そのものへと向かうのだ。
自分の苦しみ、悲しみ、弱さから、全ての人間の苦しみ、悲しみ、弱さを思うから、祈りを探す。それでも何かにコントロールされているような自我に苦しむ姿がここにはある。
だから、山田さんの絵画は、一見、強く見えながらも、強い自我の表現ではなく、むしろ、人間の弱さの、傷つきの表現なのである。それゆえ、山田さんは、無垢で弱い存存を絵画の中に逃げ込ませているのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)