2021年4-6月愛知県美術館、7-11月名古屋市美術館
2021年4〜6月に愛知県美術館で、7〜11月に名古屋市美術館で、これまでほとんど見る機会がなかった地元の画家、加藤大博さんの1960-90年代の旧作が展示された。
両美術館とも、2019年度に加藤大博さんの作品を収蔵し、今回が初披露となった。
加藤さんは1936年、名古屋市生まれ。1957年、愛知学芸大学(現在の愛知教育大学)美術科卒業。1950年代半ばから活動を続けている。
1996年、中日新聞社で美術記者になったばかりの筆者が最初に書いた展覧会評が加藤さんの個展だった。
当時、「点によるタマゴ達」シリーズを展示した名古屋・新瑞橋のギャラリーないとう(閉廊)での個展を取材。レビュー記事は中日新聞の夕刊文化欄に掲載された(後述)。
加藤さんとは、会えば気軽に話しかけてくださる関係だが、筆者は、タマゴの作品しか見たことがなかったので、今回の収蔵作品を見られたのは、とても感慨深い。
タマゴのシリーズは、タマゴ形を基本的な形態として、ドットを反復させて表現した作品であり、その連鎖的な集積はオプティカルな効果を生むとともに生命力、復活・再生の象徴でもあった。
愛知県美術館2021年度第1期コレクション展の特集展示「document 2021」
名古屋・栄の愛知県美術館の2021年度第1期コレクション展の特集展示「document 2021」(2021年4月23日〜6月27日)で、加藤さんの1966年の作品「Y.W.B計画〈ヒロシマ〉」の2点が展示された。
この特集展示の中で、2019年度に愛知県美術館に収蔵された加藤さんの作品は中核的な位置付けを与えられている。
「Y.W.B計画〈ヒロシマ〉」(1966年)
今回、展示されたのは、「Y.W.B計画〈ヒロシマ〉エノラ・ゲイ」「Y.W.B計画〈ヒロシマ〉No.2」(いずれも1966年)である。
加藤さんにとって、10代のころ、丸木位里、丸木俊(赤松俊子)の「原爆の図」を見たことが大きな制作の拠り所になっている。「墨は流すもの—丸木位里の宇宙— 愛知・一宮市三岸節子記念美術館」「『原爆の図』 (丸木位里・俊)愛知県立芸大が修復へ」も参照。
加藤さんは、一瞬にして全てを灰燼に帰す原爆を化け物と捉え、そうした戦争の記憶と、そのアンチテーゼともいうべき生命力、復活・再生と向き合ってきた。
「Y.W.B計画〈ヒロシマ〉」の連作は、黄色みがかった作品で錯視効果が印象深いが、戦争や差別などへの問題意識が如実に表れている。
今回は、生命力や復活・再生のシンボルである「点によるたまご」のシリーズも展示された。
この特集では、加藤さんの作品を核として、東松照明、荒木高子、新井卓、福沢一郎、桂ゆき、工藤哲巳、名井萬亀の作品も紹介された。
戦争から戦後、その後の日本社会のうねりの中で、時代と向き合ってきた画家の原点を振り返ると、その後の連鎖するタマゴのイメージや、作家の制作への思いも全く異なるものに見えてくる。
名古屋市美術館 郷土の美術:加藤大博と現代美術の5 人
他方、名古屋市美術館では、「2021年度名品コレクション展I」(7月10日〜11月14日)の「郷土の美術:加藤大博と現代美術の5 人」の中で展示された。
作品は、油彩画の「点による作業—80.D2」(1980年)、「点からの作品—92.C2」(1992年)である。
両作品とも、ふたが開いた幾つもの箱が空間に散らばったイメージが、夥しいドットで構成されているモノクロの絵画である。
箱の正面の正方形や、ふたの矩形、側面の平行四辺形など、幾何学的な構成に注目することもできる。
また、白いドットの粗密の変化や、黒地に白いドットを密集させた背景と箱のふたや側面、内側との対応など、ドットと図、地との関係も面白い。
キャンヴァスは、黒く塗った木枠で囲んでいるが、「点からの作品—92.C2」では、その木枠までドットがつけてある。
「1960年代の絵画—現代美術の5人—」
名古屋市美術館のコレクション展で加藤さんの作品が展示されているセクションの「現代美術の5 人」とは何か。
名古屋市美術館によると、加藤大博さんは愛知学芸大学に入学する前、名古屋市立菊里高校の美術部に所属。美術科教諭で顧問の江上明さん(1919〜1987年)と知り合った。
加藤さんは、美術評論家でもあった江上さんに倣い、自らの創作発表のみならず、他の作家の制作・発表も支援。作品を評価・記録する活動にも取り組んだ。
その1つが、1993年12月14〜26日に、加藤さんが企画し、名古屋市民ギャラリー(名古屋・栄)の全室を使って開いた「1960年代の絵画—現代美術の5人—」である。
出品した作家は、伊藤利彦さん(1928〜2006年)、稲葉桂さん(1937年〜2016年)、近藤文雄さん(1938〜2017年)、星野眞吾さん(1923年〜1997年)、吉川家永さん(1916〜2009年)の5人である。
加藤さんは、これらの5人にとって、1960年代こそが重要な時期であったと評価。この展覧会の趣旨に据えた。
1993年当時、名古屋市美術館は、星野眞吾さん以外の4人の作品は収蔵していなかったが、この展覧会がきっかけとなって、収集されることになった。
こうした経緯もあって、加藤さんの作品は、2019年度に名古屋市美術館に収蔵されることになった。
「造形室アロ」
名古屋市美術館によると、加藤さんは、大学で知り合った稲葉桂さん、森眞吾さん(1937年生まれ)と、1968年に「造形室アロ」を結成。野外展や建築物の造形を手がけるようになる。
アロの活動自体は1972年頃に終わるが、加藤さん自身は2000年代の半ばまで、公共施設などに陶板やステンレスによる壁面造形を制作している。
さまざまな実験的な試みを展開していたことが分かる。
1996年 ギャラリーないとうでの個展
1996年、ギャラリーないとう(名古屋市瑞穂区妙音通4、閉廊)での加藤さんの個展では、シルクスクリーン約100点が展示された。ちょうど、加藤さんが還暦を迎えた年である。
筆者は、当時の新聞に、白黒の点の集まりが卵を浮かび上がらせ、小さな点の集積が強烈な揺らぎ、めまいのような感覚を味わわせる、と書いている。また、それぞれは個別の作品であると同時に、全体がインスタレーションのようでもあった。
それは、増殖する細胞のようでもあり、無機的な点の集合が有機的な生命体に反転する印象を与えていた。
当時の記述には、「60年代の錯視効果のある『ヒロシマ』シリーズから、アフリカのマコンデ彫刻に魅せられた時代などを経て、3年前から卵をモチーフにした作品に取り組んでいる」とある。
1996年夏、加藤さんは、卵を題材に、スペイン・カダケスとドイツ・フュルトで自然の中のインスタレーションにも取り組んだ。卵の根源的エネルギーから連想されるイメージのかなたには、生命復活や再生があった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)