masayoshi suzuki gallery(愛知県岡崎市) 2020年11月28日~12月13日
国島征二さんは1937年、名古屋市生まれ。病気を乗り越え、83歳となった今も、旺盛な創作活動を続けている。
2021年5月のギャラリーサンセリテ(愛知県豊橋市)での個展はこちらを参照。また、国島征二さんは2022年3月7日に死去しました。ご冥福をお祈りいたします。
米ロサンゼルスを拠点にしていた時期も長いが、制作場所を日本に戻してからは、愛知県岡崎市のアトリエで制作する。
筆者も、二度ほど泊まりに行ったことがあるが、建物が個性的な上、人里離れた山中で、とてもユニーク。
以前、テレビの朝日放送系バラエティー「ポツンと一軒家」に登場したこともある。
なお、2020年12月6日放送の「ポツンと一軒家」に、再び、国島さんが登場する予定である。これは見逃せない。
さて、今回の個展についてである。
彫刻家として、石やアルミニウム合金、ブロンズなどの作品で知られる国島さんの作品に、一風、それらとは異なった印象の「Wrapped Memory」という連作がある。
壁に展示するレリーフ的、半立体的な作品である。
今回は、このシリーズに焦点を当て、1969年を起点に、80年代、90年代を中心に、2020年までの作品約50点を紹介している。とても、興味深い。
また、地下の展示室は、彫刻、ドローイングを含めた展示構成になっている。
「Wrapped Memory」は、コロナ禍の今も制作されている。国島さんの作品では、最も長く継続されている作品と言ってもいいだろう。
これまでも、個展の折に新作として展示されてきたが、旧作をまとめて見る機会はほとんどなかった。
国島さんの息の長い制作を振り返り、見直す意味でも、今回の展示は貴重である。
「Wrapped Memory」は、1969年ごろから試行的に始められ、70年代中頃からは日記のように継続して作られた。かつては、「Wrapped Works」と呼んでいた時期もある。
絵具チューブ、作家から届いた個展のDMはがき、文庫本、刷毛、時計、釘、スプレー缶、手袋・・・。その時々のさまざまな身近な物を重ね、縛るようにして透明樹脂、鉛によって封印したシリーズである。
「Wrapped Memory」というタイトルが示す通り、物とともに記憶を固めた作品である。
今回、このシリーズの古い作品を見て、改めて、とても興味を覚えた。
1つには、国島さんの作家としての生の痕跡がリアルに密封されていること。次に、連作といっても、とても多様な相貌を見せていること。
3つ目に、これまで、彫刻家である国島さんの脇役的な作品と見る向きもあったと思うが、むしろ、とても重要な作品と感じられたこと—以上の理由からである。
作品は多様であるが、密封した素材の種類や、形態、アルミニウム、樹脂の使い方、縛り方、色彩や着色の仕方などで分類できそうである。
この画廊では、今後、この連作のバリエーションを整理したいとしている。
とりわけ、この連作では、他の作家から届いた個展の案内状がしばしば、素材として密封されている。
義理堅い国島さんは、はがきを送ってきた他の作家の展覧会は、実にまめに見にいく。そのはがきを作品にするというのは、他者と自分との関係、交信記録を、自分の記憶、存在証明としているということでもある。
今回、この連作が決して脇役的な作品ではなく、画家としてアーティストのキャリアをスタートさせた国島さんにとって重要な位置を占めるものだということに気付かされた。
国島さんは、彫刻家であるが、出発点である画家としての存在証明をこの連作を通して続けていた、という言い方もできるのではないか。
というのも、「Wrapped Memory」では、さまざまな物が固められているが、単に物を重ねて密封した立体ではなく、そうした物を支持体として樹脂や塗料を塗る、すなわち、ペインティングとしての性質も認められるからである。
絵画と彫刻の間にある作品として、コンバイン・ペインティングなどと関連づけることも可能かもしれないし、他の作家から送られてきたはがきを素材にすることに注目して読み解くこともできるかもしれない。
あるいは、国島さんが生きた生存証明が刻印された日記性から、コンセプチュアル・アートとして眺めることもできるのではないか。
このシリーズには、国島征二というアーティストの生きた時間と記憶、生の痕跡、他者との関係性が刻まれている。
それは、国島征二という人間の精神であり、尊厳でもある。
実に多様な表情を見せるこのシリーズを、過去から現在へと眺められる。そんな展示である。
2020年3月にあった「国島征二 土屋公雄二人展」、 2019年5、6月の「国島征二展」も参照。
、