世界にふれる、世界を生きる
「Walls & Bridges 壁は橋になる」が2021年7月22日~10月9日、東京都美術館で開催されている。
遅ればせながら9月に入って鑑賞したが、美術の主流が国際展などイベント化に向かい、美術作品そのものがマーケット中心で動く中、一服の清涼剤となる展示であった。
表現への情熱の力によって、自らを取巻く障壁を、展望を可能にする橋へと変え得たつくり手たちを集めたというのが趣旨で、5人が取り上げられた。
5人は、増山たづ子(1917-2006年)、ジョナス・メカス(1922-2019年)、ズビニェク・セカル(1923-1998年)、シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田(1934-2000年)、東勝吉(1908-2007年)である。
5人にとって、表現とは「よりよく生きる」ために必要な行為であり、生きる糧としてなくてはならないものだった。そこには、生きるための創作の根源的な動機があった。
つまり、流行や市場、戦略や地位、名誉ではない。
とりわけ、東海地方の関係では、増山たづ子さんであろう。
この地方の人は知っている人が多いと思うが、ダム建設のために沈んだ旧・徳山村(現・岐阜県揖斐川町で)で、村や村の人たちを60歳から28年間にわたって撮り続けた人である。
筆者は、自分が勤める新聞社の記事で、かつて目にすることが多くあった。
増山さんは、出征中の夫が、参加した日本兵のほとんどが戦死したインパール作戦で行方不明になったことをきっかけに、もし、夫が帰還したとき、故郷が水没して、二度と目にできなかったのでは忍びないという思いで、撮影を始めた。
増山さんは農家の主婦、東勝吉さんは、83歳から、老人ホームで絵を描き始めた元きこりであるが、こうした人たちが美術館の企画展で、いわゆるアーティストと一緒に展示されるというのは、従来では考えられなかったことである。
「生きるよすが」としてのアートの深みに迫るという展覧会の狙いは、筆者の心にも響いた。「世界にふれる、世界を生きる」という副題が、展覧会の趣旨をよく伝えている。
増山たづ子(1917-2006年)
10万カットにも上る撮影をした。「猫がけっころがしても写る」と勧められたピッカリコニカ(コニカC35EF)を愛用。ファインダーを覗いてから、シャッターを切るまでの時間は長かったという。故郷の旧・徳山村は、増山さんの没後、ダム建設によって消滅した。
ダムに沈む村の運命を憂えて撮影を始めただけに、万感胸に迫り、涙を流しながらシャッターを切ったことも一度や二度ではなかった。
村のなにげない風景や、子供たちの姿、人々のつながり、笑顔がすばらしく、自分の子供時代の記憶、故郷や、亡くなった祖父母、両親のことを思い出した。
忘れてしまっている、私たち1人1人の古いアルバムにある写真と変わらないが、だからこそ、響くものがある。普通の人の人生の素晴らしさに改めて気付かせる作品である。
ジョナス・メカス(1922-2019年)
リトアニアの農家に生まれ、難民キャンプを転々とした後、米ニューヨークに亡命。貧困と孤独の中、中古の16ミリカメラによって、身の回りの撮影を始め、類例のない数々の「日記映画」を残すことになった。
メカスが撮影したフィルムの一部をプリントした「静止した映画フィルム」が展示され、メカスの「日記映画」の集大成ともいわれる「歩みつつ垣間見た美しい時の数々」(2000年)が上映されている。
光によって優しく刻印されたささやかな日常の瞬間が、奇跡のように美しく、見る者を揺さぶる。
メカスの家族や友人たちに起きた出来事が、見る人自身の記憶と共振するかのようである。
ビニェク・セカル(1923-1998年)
チェコのプラハに生まれ、反ナチス運動に関わった結果、投獄の憂き目に遭い、強制収容所での日々を経て後年、アーティストとなった。40歳を過ぎて取り組んだ彫刻作品は、名状しがたい存在への問いを湛えている。
現在は、戦後のチェコを代表する彫刻家として不動の評価を得ている。同郷の作家、カフカを好み、木製の四角い骨組みの作品は、容易に表象しえない存在の不条理さへの重い問いかけをはらんでいる。
シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田(1934-2000年)
イタリアのサレルノに生まれた。彫刻家であった夫の保田春彦を支え、家事と育児に専念しつつ、寸暇を惜しみ、彫刻と絵画の制作にいそしんだ。
将来を嘱望されながら、自らの作品を世に問うことは一度もなかった。敬虔なクリスチャンであった彼女の真摯な制作は、切実な祈りそのもので、自らへの問いのようなものだった。
自宅の限られたスペースで制作したため、小さな作品が多く、木のレリーフのための素材がまな板であったり、切り絵や素描には広告チラシが使われた。
彼女にとって、生きることはつくることであり、作品には魂の軌跡が遺されている。
東勝吉(1908-2007年)
東勝吉は、大分県の日田で生まれ、十代で母親を亡くしたことをきっかけに、木こりとして働くようになった。
83歳から99歳までの16年間に描かれた水彩の風景画は、すべて由布院の老人ホームの自室で制作された。
車椅子を必要とする身体で、要介護2。外出もままならなかった東の脳裏には、かつて山で触れた自然の息吹の忘れがたい記憶があった。
緻密に、丁寧に塗られた画面には、力強くも繊細な存在のあかしのような痕跡が宿っている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)