ギャラリーA・C・S(名古屋) 2024年4月6〜20日
若月陽子
若月陽子さんは1959年、愛知県生まれ。1981年、名古屋造形芸術短大洋画コース専攻科修了。木口木版の作家である。2020年、2022年の個展レビューも参照。
植物、虫、鳥の巣などをモチーフに、小さな命とそれらのつながり、循環を温かい眼差しで作品化している。
主に椿材をビュランで精緻に彫って、繊細ながら強さも湛えた画を作っている。表現されたもののみならず、何十年もの年輪を刻んだ、素材そのものへの畏敬が制作の背景としてある。
木口木版といっても、作品サイズは小さいわけではなく、部分ごとに刷った雁皮紙のレイヤーを重ね、重層化することで、作品に広がりと深さを与えている。
全体として、小さな木口サイズを凌駕する作品がほとんどであるのに加え、コラージュ、フロッタージュなどの手法を混合させるので、1点ものの作品である。
例えば、コットン紙の上に雁皮紙3層ほどを敷き、その上に、部分的に刷った雁皮紙を重ね、さらには紙を炭や液体レジン、コーヒーなどで着色する。
木口木版という、繊細・稠密な線による従来のイメージにとどまることなく、実験精神に溢れている。これは、もはや木口木版を主体ながらも独特の表現世界である。
佇んで見る 2024年
ヒメジョオン、マメグンバイナズナ、ウイキョウなど、さまざまな植物がモチーフになっている。個展タイトルの「佇んで見る」は、忙しい日常で見過ごしてしまうであろう、草むらや地面に落ちたマツボックリの何気ない情景に、慈しむように自然の深い摂理を見る、この作家の感性をよく表している。
美しい特別なものを探すのでも、自分のストーリーを押し付けるのでもなく、目の前にあるものを優しさと共に心の目で見ることから生まれる作品なのだ。
透明感の中に表現された、生命の煌めくような恩寵が今回は表立っていない。これまでの作品と比べると、紙の重ねや、墨による着色によって、濃密さが増している。
余白と黒い緻密な細線による美しいイメージという、これまでの作風とはいくらか異なっているのだ。
むしろ、精巧な線を墨でつぶすような表現や、リノリウム版による硬質な絵を切り取って貼っている部分、紙を焦がす箇所を作るなど、全体に表現が強くなっている。
かつては、小さな版木に、自然と生命への慈愛、恩寵への喜びを込めて線を刻んでいたが、今回の個展では、この黒く煤けたような画面に、これまで以上に深い作家の思いが込められていることに思い至る。
つまり、怒りのようなものが宿っているのである。よく見れば、鉄条網や破壊された鳥の巣、あるいは砕け散った翼が描かれている。
そして、モチーフとして多くの作品に登場するマツボックリは、若月さんが若い頃に見たアンドリュー・ワイエスの絵を思い出すというものだが、それらは手榴弾を想起させるモチーフとして描かれている。
ここには、ウクライナやパレスチナ自治区ガザなど、世界の情勢が反映しているのだろう。
目立たぬように、ひっそりと健気に生きる小さな命を見据えてきた作家にとって、同じように弱く、尊厳のある人間が数多く殺されている戦争に思いが向かわないはずはない。
若月さんが描いてきたのは、生きとし生けるもののつながりと恩寵である。なぜ、それが破壊されるのだろうか。人間の愚かさとしか言えないが、怒りと焦燥、疑問が拭えないのだろう。
汚されながらも、あるいは、踏み躙られながらも、凛とした存在感を失わない小さな姿に、祈りのような作家の想いを感じる作品群である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)