gallery N(名古屋) 2024年11月16日〜12月1日
うしお
うしおさんは1978年、山形県出身。2003年、筑波大学大学院芸術研究科修了。現在は沖縄県在住である。「思うままにならないこと(不如意)」をテーマに、映像やインスタレーションなどによって、人間と歴史を洞察している。
愛知県美術館の2020年度第4期コレクション展(2021年1月15日~4月11日)では、オセロゲームの対局を映像化した《Where Are You?》などが展示された。
「境界のかたち 現代美術 in 大府」(おおぶ文化交流の杜 allobu、愛知、2021)では、太平洋を484日間も漂流した江戸時代後期の船頭、小栗重吉の日本帰還後の人生をモチーフに、危険と隣り合わせの当時の航海や世界観、極限状況を経験した人間のあり方を表現した。
いわば、一般には知られていない人間が辿った生の軌跡を、歴史的記録と、ナラティブな想像力、作家としての感性、構想力によって作品化している。その姿勢は、今回の展示にも引き継がれている。
「それはかたちを変えて何度も現れる」2024年
今回は、この大府の作品から、さらに別の日本人の渡海を巡るストーリーを探求した展示である。2018年頃から、江戸から明治にかけての航海、船の漂流に関心を抱いている、うしおさんは、国内外で継続的にフィールドワークと制作を続けている。
それはまた、戦争や内戦、人種、宗教、国籍、政治的迫害や貧困など、さまざまな理由で故郷を離れ、国境を越えなければならない現代の移民、難民の問題をも照射するものだ。
今回取り上げた宮城県出身の事業家、及川甚三郎(1855-1927年)は1896(明治29)年、カナダに渡り、大量のサケが遡るバンクーバーのフレーザー川河口の小島で、サケや筋子を塩漬けに加工し、日本へ輸出する事業を成功させた人物である。
宮城県からの密航者82人を率いて海を越え、日本人の理想郷を目指して奮闘した生きざまは新田次郎の小説「密航船水安丸」のモデルにもなっているが、地元の宮城はともかく、それ以外で、及川甚三郎を知っている人は少ないのではないか。
うしおさんは、実際にカナダの現地で長期間生活し、そのフィールドワークを基にドローイングや立体、写真や動画などの資料類によるインスタレーションによって、及川甚三郎の生きた世界を紹介している。
会場に吊り下げられた布には、海をイメージする波紋と指紋がプリントされている。指紋は、国家間を越えて移動する移民を管理する際、時に差別的に利用されたものだ。
また、電光掲示板の作品「ともさねば消えるなにか」には、2016年、米ニューヨークの国連本部で開かれた「難民と移民に関するサミット」で採択された「ニューヨーク宣言」序文の日本語訳が流れるように表示されている。
筋子をプリントしたユニークなクッションや、現在進行形のプロジェクトとして、書籍などの資料や現地の写真、動画などをオープンスタジオ風に展示したコーナーもある。
ギャラリーに入ってすぐのところに、「歴史の父」といわれるヘロドトスによる2500年前の最古の歴史書「歴史」の一節をAIに朗読させ、方位磁針などとともに構成した作品「2500年前の話だとしても、」がある。うしおさんはこれまでも、ヘロドトスの「歴史」を2019年の東京都現代美術館の「あそびのじかん展」で取り上げている。
うしおさんには、「歴史」と「歴史にならないもの」への意識があるように思える。歴史を動かすのは、支配者や勇者だけではない。社会の流動化、不安定化、混乱、危機と新たなダイナミズム、すなわち文明の歴史の中に、名もない民衆の動き、移動、人口動態がある。
うしおさんが取り上げる「航海」「漂流」「移民」など、人間の長距離の移動には、それを為した人間の考えや世界観、生活、予期せぬ出来後や死に至るまで、人生そのものが関係している。正式な歴史となる出来事にも、そうでない無名の民の人生においても、人間の愚かさ、弱さ、おかしさ、物悲しさが集積して、時間は流れている。
人間にとっての連続する刹那そのものが、「不如意」である。寄せては返す波のように、「それはかたちを変えて何度も現れる」。
世界も、歴史も、複雑系である。うしおさんは、大文字の歴史を見据えながら、個々の人間の人生、心のひだも決して忘却せず、小文字にさえならない人間の出来事を、美術家としての感性によって掬いあげている。
資本主義や民主主義の混迷、経済格差の拡大や、社会の分断と政治の寡頭制化、気候変動やAIの進化など、激変する現在と未来にも思いを及ばせる作品である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)