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梅田恭子 銅版画・Drawing ギャラリーA・C・S(名古屋)で10月22日-11月5日

ギャラリーA・C・S(名古屋) 2022年10月22日〜11月5日

梅田恭子

 梅田恭子さんは1971年、東京生まれ、1994年、多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻を卒業、1996年、同大学大学院美術研究科デザイン専攻を修了。

 東京、名古屋、山口・宇部、新潟、神戸などで、1年に3回ほど個展を開いている。ギャラリーA・C・S では、1年おき(場合によっては2年おき)の開催である。

 ギャラリーA・C・Sでの2019年の個展レビューはこちらを参照。

梅田恭子

 今回の展示作品は、銅版画、キャンバスに油絵具で描いたドローイングが中心。ほかに、鉛筆画が1点ある。

 梅田さんは、どんな画材を使っても、小さく、はかなげで、それでいて、濃密な空間をつくってきた。再現的なモチーフがほとんど見当たらない、繊細なアンフォルメルである。

 中には、モチーフがある程度想像できるものもある。いずれにしても、幻視の宇宙というような、名指しがたい心象世界である。

2022年 齟齬と気分

梅田恭子

 線は細々としていて、空間は砕かれている。色彩は絶え絶えとし、形は形なきものとの間で溶け合い、そして震えている。

 油彩のドローイングが形象らしきものをもちながら、消え入りそうに裂け、空間ににじんでいるのに対し、銅版画の空間は重く、不透明で稠密である。

 いずれも、かぼそい線、微細な粒子、不定形、抑制された色彩からなる小さな世界。長く細部を見つめてほしいと、会場には、虫眼鏡が備えてある。

梅田恭子

 閉塞した現代の空気を受け止めた梅田さんとともにある作品である。崩れそうな自分自身の感覚とめぐる思索によって、この不安な世界と交感して紡がれた心の中のイメージである。

 それぞれに「細胞決起集会」「何にも知らない」「うつむくひと」「緑の椅子」「取りかえしがつかない」「凍えた躯体」「要塞」など、意味ありげな題がつく。

 意外に思えたのは、梅田さんが自作の絵について言葉と近い関係にあると語ったことである。

梅田恭子

 梅田さんにとって、「描くこと」は「書くこと」なのかもしれない。ただ、タイトルが先ではなく、描いた後に付けられる。

 いつも、もやもやしながら考え事をしている。手が描き始め、梅田さんが今ここに生きていることの内面のイメージが生成される。同時に、それは、今ここにいる鑑賞者ひとりひとりの内面を鏡のように投影している。

 個展のタイトルにある「齟齬」は、コミュニケーションの不可能性、「気分」は、実体のない雰囲気、妄想、不信感、デマで世の中が動く状況を指している。

梅田恭子

 例えば、ある重苦しいイメージ。そこには、ロシアによるウクライナ侵攻も影響している。クリミア大橋や、ゼレンスキー大統領をほのめかすイメージも現れている。

 強く世界を構築するのではなく、この地球に立ち、生きている今ここにある感覚の中で、無力な弱き体の中でうごめく内面の小さな魂の声をたよりに描いている。

 怒りではなく、欲望ではなく、ありのままに見ること、世界を、あなたを、すべてのものを愛することを祈った作品でもある。

梅田恭子

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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