愛知・豊田市美術館で2019年7月23日、「クリムト展 ウィーンと日本1900」が始まった。10月14日まで。19世紀末ウィーンを代表する巨匠、グスタフ・クリムト(1862〜1918年)の没後100年と日本オーストリア友好150周年を記念する展覧会で、国内で開催されたクリムト展では、過去最高の油彩画25点以上を含む110点が展示されている。
本展は、世界屈指のクリムト・コレクションを誇るベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館の監修で企画構成された。初期のアカデミックな修行時代や劇場装飾、保守的な画壇との対立によるウィーン分離派結成とその後の「黄金様式」の時代や、日本初出品の《女の三世代》など人間の生命の円環を見つめた作品群などを分かりやすくテーマごとに構成。各作品の説明もコンパクトで読みやすく、華やかな装飾性と世紀末的な官能性をもつクリムト芸術を堪能できるまたとない機会である。
7月27日午後2時から、記念トーク&コンサート「ウィーンの楽しみ方・絵画と音楽」が催される。トークは、島根大准教授の西田兼さん、コンサートはピアノの綾クレバーンさん。9月1日午後2時からは、本展監修者で広島県立美術館長(成城大名誉教授)の千足伸行さんによる記念講演会「ウィーンの聖なる春:クリムトの人と作品」がある。いずれも、会場は美術館講堂(定員150人)で、無料。当日正午から、美術館ギャラリーで整理券を配布する。
22日にあった開会式では、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館の学芸員が「クリムトは世界で最も有名な芸術家の一人で、大規模な展覧会の実現が難しい。今回のような本格的な展覧会が日本で開催されるのは素晴らしい機会」と述べ、「学芸員としてほぼ毎日、クリムトの作品に触れる中で、その作品は魅惑的で神秘的、それぞれに偉大で異なる着想がある」と続けた。この後、監修者の千足伸行さんや豊田市美術館の担当学芸員が紹介され、村田真宏館長が8つのセクションで構成される展覧会の概要を説明。「後半では、『女の三世代』(1905年)を中心に、生命の循環、クリムトにとっての人生観、生命観など本質的な部分を紹介している」などと話した。
今回のクリムト展では、姉、妹や弟のエルンストやゲオルクなど、家族や私生活、周辺の人たちへも写真や作品でフォーカスしている。「へレーネ・クリムトの肖像」(1898年)は、早世したエルンストの娘でクリムトの姪にあたるへレーネの6歳の時の肖像で、印象派を手本に描いた初期作品。真横からの肖像は、フェルナン・クノップフを研究していたこととも関係している。伝統的な様式を脱し、その後の展開を示唆しているとされる。
19世紀末ウィーンの日本ブームにも着目。クリムトの日本文化への憧憬と探究心、日本とウィーンとの関わりを示す作品も多く紹介されている。「17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像」(1891年)には、額に描かれた花模様の装飾に日本文化の影響が見て取れる。「赤子(ゆりかご)」(1917年)は、多彩な色、模様の布を絡めながら積み上げたピラミッドの頂点に赤子の顔を置いた独創的な作品でありながら、着想源に日本の江戸時代文政-天保年間の多色刷り木版画が指摘されている。
クリムトは1897年にウィーン分離派を結成。その決意を示した「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」(1899年)では、鏡を持つ女性の頭上にシラーの言葉「汝の行為と芸術をすべての人に好んでもらえないのなら、それを少数者に対して行え。多数者に好んでもらうのは悪なり」を添えた。クリムトの代表作の一つ「ユディトI」(1901年)は、装飾性、様式性が強まり、大胆に金箔を使用。エロティシズムをたたえた女性を表現し、黄金様式の幕開けを飾る作品となった。愛知県美術館の「人生は戦いなり(黄金の騎士)」(1903年)もしっかりと存在感を放っていた。
クリムトが、総合芸術を志向した第14回ウィーン分離派展(1902年)のために壁画として制作した全長34メートルに及ぶ壁画《ベートーヴェン・フリーズ》の精巧な原寸大複製も圧巻である。ベートーヴェンの交響曲第9番がテーマで、多くの鑑賞者が何度も位置を変えながら鑑賞していた。
「自画像はない。私は自分という人物には関心がない。それよりも他の人間、女性に関心がある」と語ったクリムトは、女性の肖像画を多く描いた。会場には、豊田市美術館所蔵の「オイゲニア・プリマフェージの肖像」(1913/14年)などの女性像も注目を集めていた。
1898年ごろから、かなりの点数を描いているのが風景画である。正方形の画面を好んだといわれ、印象派の影響か、点描のように描く中に、平面性、装飾性が強調されている。望遠鏡を使って描いたともされる「アッター湖畔のカンマー城Ⅲ」(1909/10年)は、手前の黄色い建物とその奥の赤い屋根が平面的に重なり、「丘の見える庭の風景」(1916年頃)は、ゴッホの影響を受け輪郭を描いてから色彩を埋め、日本の浮世絵の構図や色遣いとの共通点が指摘されている。
「生命の円環」をテーマとした最終章は深遠である。周囲の具体的な死という悲劇を背景としながら、クリムトは象徴主義者として個々人の生を宇宙の一部と考えた。性愛、生殖から病、そして死に至る命の円環というテーマの根幹には、宇宙と人間存在に関わる哲学的思索があったようだ。「《医学》のための習作」(1897-98年)、《オフィーリア》を思わせる「リア・ムンクI」(1912年)などを経て、掉尾を飾るのが「女の三世代」(1905年)。眠る幼子と抱きかかえる若い女性の生気に満ちた美しい裸体、その背後に立つ、死の影が差し迫っている老女の衰弱した体。三世代の女性によって、シンプルながら深い人生の旅路が象徴的に描かれ、見る者を作品の前に長く立ち止まらせていた。
余談ながら、会場内での音声ガイドは、クリムト展スペシャルサポーターの稲垣吾郎さんが担当している。クリムト絵画の解説に、稲垣さんの落ち着いた、やや憂いを含んだ声調が非常に合っていた。