ガレリア フィナルテ(名古屋) 2024年9月3〜28日
豊嶋康子
豊嶋康子さんは1967年、埼玉県生まれ。1993年、東京芸術大学大学院美術研究科油画専攻修士課程修了。東京都現代美術館で2023年12月から2024年3月にかけ、「豊嶋康子 発生法──天地左右の裏表」が開催された。ガレリア フィナルテでは近年では、2021年に個展をしている。
豊嶋さんは、人間の生活、社会に組み込まれ、中立的と見られているさまざまなシステム、規範、思考の枠組みを捉え返すようなユニークな作品で知られる。
それは「私」によるシステムへの、しなやかな挑発的撹乱、逸脱によって、人間の自由を顕在化させる知的遊戯でもある。
3年前のフィナルテの個展では、壁に見立てた合板にコンセントを設置した作品シリーズ「交流」が、名古屋・上前津の天井の高い旧・画廊空間に多く展示された。
矩形の板に着色された矩形の小さい板を重ね、コンセントをはめこんだ作品は、飄々と、はみ出たケーブルやプラグの存在と相まって、世界を覆う巨大な電流システムへのささやかな反逆のような姿を見せていた。
何気なく、さりげなく存在しながら、人間に作用しているある種のシステムの構造性、権力性、「正義」を軽やかに暴くのが豊嶋さんの作品なのではないか。
このネジだけ正面から見える 2024年
豊嶋さんには、2010年代、2つの木製パネルが二枚貝のように閉じながら、内部に複雑な開閉式パーツを組み込んだ「隠蔽工作」、さらに、それを片側パネルだけにして裏面に複雑な幾何学模様の木の骨組みを入れ込んだ「パネル」シリーズがある。
今回の作品は、それらの系譜とのつながりを感じさせ、また、サイズの異なる円形や半円形、扇形の板が同心円状に重ねられて回転し、固定した形を逸脱する「地動説 2020-2022」も想起させた。
合板やベニヤ板、角材を重ね、木ねじで簡単に留めている感じで、「作品」らしくないと言えばそうである。
コンセントが付いた「交流」シリーズと同様、矩形の形状や板の着色など構成的要素によって、鑑賞者に対する正面性と幾何学的な抽象性を持ちながら、どこか緊張感がなく、そっけない。無造作な印象の外観の中で、小さな木ねじの頭がいかにも目立つように存在しているのだ。
さて、今回の作品の中心となるシリーズ名は「このネジだけ正面から見える」というユニークなもので、画廊にあった作品のリストで確認すると、それぞれ「水星」「金星」「木星」など、太陽系惑星の名称がタイトルになっている。
太陽系外縁天体に分類される準惑星「冥王星」のタイトルが付された作品(写真下)もあるが、これにはシリーズ名が付いていない。また、他に「パネル」シリーズも2点出品されている。
冥王星は2006年の国際学会で、惑星から準惑星に降格されたので、シリーズ名の括りから外されているのだろう。
実際、この「冥王星」という作品のみ、例外的に他の惑星名の作品と少し異質で、凹凸感が強く出ていて、より歪で不調和な印象である。そして、この作品には、豊嶋さんの作品の鍵語である「天・地・左・右」の文字がある。
「天地左右裏表」という2018年の作品があって、「回転」することが作品の重要な要素になっている。このことが豊嶋さんにとって大きな意味があることは、「天地左右」や「裏表」が東京都現代美術館の個展のタイトルになっていることからも分かる。
「冥王星」では、文字を書いた矩形の横板が90度回転して固定させてあるので、「天」が左、「地」が右、「左」が地、「右」が天の位置に来ている。つまり、フレーム(システム)が変わると、ルールが変わってしまうということが豊嶋さんの作品では重要なのだ。
豊嶋さんは次のように言っている。
「美術の領域でやることは、相手の想定する領域を広げることだと思います。」
豊嶋康子
「自分の住んでいる空間を、自分の意思で組みなおす」
「地動説または天動説のような可動領域の原型をつくろうとしている。この領域は複数の層から構成され、その層を貫く軸があり、各層を恣意的に動かせる仕組みにしている」
筆者は、以下のことを仏教と、近内悠太さんの近著「利他・ケア・傷の倫理学 『私』を生き直すための哲学」を参考に書く。近内さんの本のベースには、専門のウィトゲンシュタインの言語ゲームがある。
「天・地・左・右」あるいは「裏・表」というのは、モノに対する概念、思考、解釈であり、フレームが変わると変わってしまう。モノに対応するのはコトである。コトは状態と言ってもいい。「色即是空」の「色」はモノ、「空」はコトである。つまり、概念、思考、解釈を決めても、それはフレームがあるからで、もともとは、うつろいゆく状態、無常なのである。
豊嶋さんの作品は、社会のシステム、フレーム、あるいは概念に対して、自分が変わることで、新しい言語ゲームを作り直す作業である。社会の管理から離れた新しい物語、自由がそこにある。
正面から見ると、一見、シンプルで素っ気ない作品だが、横から見ると、実にさまざまな層が重なってできた、複雑なものであることが分かる。
しかも、ある種の可変性があって、作品なので当然、モノなのだが、同時に、コトとしてのうつろいゆく状態も含意している。「色即是空」である。
作品を正面から眺めながら、自分はこの世界の何を見ているのだろうかと、ふと思う。夜空の星を見て、自分が見ている宇宙は何なんだろうと思うように。
概念、社会のフレーム、システム、二元論から離れる自由、自分が変わることで生まれる新たな物語にこそ創造性があることを教えてくれる作品でもある。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)