See Saw gallery + hibit(名古屋) 2023年11月11日〜12月23日
登山博文
登山博文さんは1967年、福岡県生まれ。1997年、愛知県立芸術大学大学院美術研究科修了。「あいちトリエンナーレ」(2010年)、「放課後のはらっぱ 櫃田伸也とその教え子 たち」(愛知県美術館・名古屋市美術館、2009年)などに参加した。
絵画を描くことによってその形式性や生成プロセスを探究するような作品を制作した。
絵画を絵画たらしめる各要素、例えば、線、色彩、形、コンポジション、マチエール、矩形の枠組みなどを分析し、絵画の生成とは何かを深く追究した。2021年11月に54歳の若さで永眠。
2022年にあった「登山博文 Drawing/Tableau 2008-2010 Art Space NAF」(河合塾美術研究所)も参照。
2022年4-5月には、タカ・イシイギャラリー(東京)で 「登山博文『1, 2』」も開かれた。また、2022年5-6月、名古屋造形大のギャラリーで、登山さんがあいちトリエンナーレ2010に出品した大作が再展示された。
登山さんの作品は、絵画の還元的諸要素の相関関係を検討。探究したものを作品として総合してシリーズとして描いた後、解体するというプロセスを辿り、大きな変化を見せながら展開してきた。
2008年以降は、ドローイングをいかにタブローに近づけるかを巡って掘り下げ、晩年は、絵画と絵画の距離についての思索を巡らしていた。
登山さんは、現代的なイメージによって絵画が古びたものではないことを示すのではなく、絵画の成り立ち、形式を強く意識することで、絵画を更新しようとした。
フォーマリズムが、特定のスタイルに固執することではなく、絵画の豊かさを否定するものでもないことを教えてくれる。
かきあな 2023年
今回の展示では、1996年から1997年ごろに集中的に制作された未公開の作品が展示された。広い地に対して、小さな鍵穴のような形象が2つ、あるいは4つ並んだシリーズである。
これまでに26点が確認され、今回は19点が展示されたとのことである。
登山さんは、名古屋にかつてあったコオジオグラギャラリーで、1998年に、「ルビンの壺」という、緩やかなS字と逆S字が画面を三分割し、中央に高杯形を浮かび上がらせる作品を出品し、2000年には、シルバーホワイトの地に、左右対称の明快な形を単色で描いた作品を発表している。
1996-97年に描かれた鍵穴の作品群は、まさに「ルビンの壺」に連なる試行錯誤の移行時期の作品だと考えられている。
今回の企画には、山本さつきさん(美術評論家)、石崎尚さん(愛知県美術館学芸員)が関わり、初日には、佐藤克久さん(画家)を含め、3人によるトークイベントも開催された。
トークによると、横位置のキャンバスに油彩で描かれ、筆やペインティングナイフが使われている。鍵穴の向きはさまざまだが、1つの作品では、2つ、または4つの鍵穴の向きが統一されている。鍵穴の円形部分が右側にあるものはない。
その他、3人からは、色彩や形象のサイズ、地と図の関係、絵具の塗り、キャンバスの縁、塗り残しやステンシル使用の有無などについても言及があった。
山本さんによると、1992年の卒業制作の頃に、文字を線や形として捉え、文字が連なるような膨大なドローイングを描いていた時期があった。
その文字の線で囲われた一部を塗りつぶすことで、植物の蔓に木の実、果物にも似た不定形がいくつも付いたような形象が生まれ、その木の実、あるいは果物のような形が鍵穴に展開したのではないかという推論も立てられた。
その過程で、個々の形象が左右対称に並び、鍵穴の連作が生まれたのではないかという見立てである。その一方で、鍵穴が形象(図)というよりは記号、マークに近いものではないかという意見も出された。
また、鍵穴の絵では、画面全体で均質に地と図が入り組み、左右非対称である抽象表現主義に対して、左右対称と明確な地と図の関係性が追求され、それがその後の「ルビンの壺」への兆しになっているのではないかという分析もあった。
1990年代半ばは、現代美術としての平面作品の新鋭を発掘するVOCA展が生まれ、他方、公募団体が失速するとともに、安井賞が打ち切られる時代であった。
石崎さんは、90年代のこうした絵画の状況から、抽象表現主義へも、具象絵画にも行けない作家の中に、身近な形を描く作家が現れたと説明。登山さんの鍵穴の絵をそうした動向とも関連づけた。
なお、See Saw gallery から、2024年4月、「登山博文 かきあな」展の貴重な記録集が発行された。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)