ケンジタキギャラリー(名古屋) 2021年6月5日〜7月17日
戸谷成雄KENJI TAKI GALLERY
戸谷成雄さんは1947年長野県生まれ。愛知県立芸大大学院を修了。埼玉県在住。
筆者は、新聞記者時代、ケンジタキギャラリーが大和生命ビルにあった頃を含め、1990年代から2000年代はじめにかけ、取材する機会を得た。
その後も、同ギャラリーや、韓国・光州ビエンナーレ(2000年)、愛知県立美術館の「戸谷成雄 森の襞の行方」(2003年)など、折々に拝見することができた。
視線体- 連 I
今回の個展は、シュウゴアーツ(東京)で 2019年9、10月にあった個展「視線体」に連なるものである。
画廊1階の広い空間に展示された「視線体- 連 I 」は、床に岩のようにごつごつした木の塊が直線上に並んでいる。
それぞれは、大胆に面を強調するように切断された上で、鋭利に抉られている。内部に彫り込まれたスリットや、激しい切り込み傷が加わり、重量感と激しさを備えている。
東京での「視線体」は、岩のような9つの個体が空間に点在するように配置されたが、今回は、「連」というとおり、連なるようなラインを形成している。
ちなみに、この「連」には、1990年代から発表されてきた作品の概念「連句的」とのつながりも感じる。
視線は、戸谷さんにとって彫刻概念の鍵となる。彫刻を根源的な存在認識と結び合わせる戸谷さんは、眼差しによって、彫刻や表面、境界の概念、世界観を追究することで、独自の彫刻を展開させてきた。
それゆえ、この「視線体」は、戸谷さんの彫刻の原理を明確に物語るものでもある。つまり、無数の視線の集積が彫刻をつくりだす—。
⼾⾕さんは 1975 年、竹藪の中で、⽵に触れることがないようにロープを張り巡らし、さらにロープを持って⽵藪の中を歩くパフォーマンスをした。
この行為によって、見えない無数の視線の方向と歩行の軌跡が視覚化され、それらの交差する空間とその反転、「⾒る」「⾒られる」の交換という、その後の彫刻論のベースとなる1つの原理を紡ぎだした。
⼾⾕さんによると、こうした無数の視線の束が彫刻を⽣みだす。「世界は眼差しによって構成され、彫られる」(1981年の第2回ハラ・アニュアル」展より)のである。
代表作のシリーズ「森」も、錯綜するように斜めに走る視線によって彫られるという構造を持った作品である。
その視線は、平面的なものではなく、起伏のある森林、あるいは山と谷という空間で交わされるものである。
それゆえ、戸谷さんの作品では、正対する視線でなく、斜めの視線の概念がとても重要になる。それは、単に「見る」だけでなく触覚的な感覚をも含んでいる。
今回の木の塊に加えられたおびただしい数の切り込み、スリットも見えない視線の記憶、痕跡と見ることができる。
そして、竹藪のパフォーマンスを思い起こせば、この斜めの視線は、切り込まれた木の塊の向こうや手前の空間にも伸びていることが分かる。
これらの彫刻は、そうした移動する視線の束によって削られ、構成され、その見えない視線の線条は、ギャラリー空間にも無数に交差しているのである。
つまり、空間の中を走る無数の視線が絡まるようになって結ばれた像が視線体である。
そう考えると、私たちは、この床に一直線に並んだ木の塊を対象として上から見下ろすが、同時に、空間を行き交う視線の内側に取り込まれ、「見られている」ような反転の感覚、多中心的な感覚にもさそわれるのである。
「森」シリーズで、激しく斜めの視線で切り込まれた「表面」が、内と外が入り混じったような厚み、内と外が反転しうる境界領域の幅をもち、いわば、「見える」と「見えない」、ポジとネガが入れ替わりうる感覚をもたらすのと同じである。
今回は、それぞれの木の塊が面と面を接するように連なっているのが特徴である。
そうすることで、「1」でありながら「多」、「多」でありながら「1」の関係、外から内へ、内から外への回路が入り組み、部分と全体、表面や境界の構造が複雑になっている。
視線体- 連 Ⅱ
2階の窓側の空間に置かれた「視線体- 連 Ⅱ」は、小さな木の塊を連ねた単位が床に並べられ、全体で大きな矩形をなしている。
それぞれの単位は、1階に展示された重厚な「視線体- 連 I 」のミニチュアのように見えるのがユニークである。
それぞれの木の塊には小さな無数の斜線が彫られ、視線体が作られる。サイズダウンして、小さく解体されていっても、構造としては同じである。
これらの小さな視線体から、数え切れないほどの視線が空間に伸び、交差しているようである。
筆者は、同時に、この床の矩形を垂直方向に延ばした不可視の直方体を想起したときの内と外の反転のイメージも興味深く感じた。
視線体 – 積
「視線体 – 積」は、壁に取り付けられた木の台に、彫り刻まれた木の塊を積み上げた小品で、2階の空間の壁に十分な距離を置いて、5点が展示されている。
それらは、うずくまるような形態や、塔状であったり、あるいは、非常にアンバランスな状態で立つ物体であったりする。
そして、これらの作品では、作品そのものの切り込みとともに、あえて斜めの面で切られた台座がとても印象的である。
それぞれの「視線体 – 積」は、設置する高さをすべて微妙に変えてあり、あたかも向かえの壁の作品や、隣り合う作品と視線が交差するように仕組まれている。
作品それぞれの小さな木塊による視線体と、斜めに切断された台座から放たれる視線体が、入れ子状態になって空間に存在している感じである。
と同時に、台座が面で切り取られた三角錐のようになっているため、その上に小さな木塊が積まれた彫刻が、ミニマルな立体の内部から抉り出された印象も受ける。
筆者は、1999年ごろから、ケンジタキギャラリーなどで展開されるようになった、「ミニマルバロック」的な作品とのつながりを思い返した。
すなわち、ミニマルとバロックが緊張関係をもちながら共存した一連の作品での、削ぎ落とした立体面と折り込まれた無数の襞、見えるものと見えないもの、ポジとネガの関係も感じたのである。
今回の個展では、視線という、戸谷さんの彫刻の原点ともいえる原理から、さまざまな展開を見ることができる。
それは、人間の原初の創作原理まで遡って彫刻概念を問い直しつつ、現在の社会や政治、制作の現場をも包含しながら思考を続けている作家の応答でもある。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)