「彫刻とはなにか」を問う
日本の現代彫刻を代表する彫刻家、戸谷成雄さん(1947年、長野県小川村生まれ、武蔵野美術大学彫刻学科名誉教授。)の回顧展「戸谷成雄 彫刻 ある全体として Entity」が2022年11月4日から2023年1月29日まで、長野県立美術館で開催されている。
2023年2月25日〜5月14日に埼玉県立近代美術館に巡回する。
〈森〉シリーズなど、チェーンソーで木材の表面を刻んだ作品で知られる。
常に「彫刻とはなにか」を問う根源的な思索とともに制作を進めてきた戸谷さんの初期の作品から近作まで30点が並ぶ圧巻の展示である(掲載した作品の写真は、展示の流れに沿っている)。
愛知県立芸術大学大学院彫刻専攻修了。1974年の初個展以来、彫刻概念の再解釈を試みたコンセプチュアルな作品を制作した。
ポスト・ミニマリズム、もの派以降解体された「彫刻」の再構築と新たな可能性を探究。チェーンソーで木材を刻む作品を中心に、1984年から〈森〉シリーズ、1994年から〈《境界》から〉シリーズ、2000年前後から〈ミニマルバロック〉シリーズなどを展開した。
広島市現代美術館(1995年)、愛知県美術館(2003年)、ヴァンジ彫刻庭園美術館(2011年)、武蔵野美術大学美術館・図書館(2017年)などで個展。多くの国際展にも参加している。
作品の基本的な構造は、既に、戸谷さんが彫刻家を志した1970年代の思考から形作られ、一貫している。
1970年代の美術では、旧来の絵画や彫刻が事実上否定され、表現することや、美術そのものの在り方が問われた。
そうした中で、戸谷さんは、制度として解体された彫刻を、時代や地域の枠を乗り越え、起源から見つめ直したが、今回は、そうした思考と展開がたどれる展示が強く打ち出されている硬派な展示だともいえる。
言語学や人類学の方法論を用いて社会の構造の在り方を問うという、当時の世界的な思潮に身を置く中で、戸谷さんが彫刻の構造、概念を突き詰めることは、日本社会について人間の存在認識から探究する問題意識とも共振した。
展示の流れは、展覧会のコンセプトに合わせ、作品の制作年に関係なく構成されている。展示の中ほどでは、戸谷さんが彫刻家を志した最初期(1970年代)や、その後の80年代、90年代の作品と近作が同じ空間に展示されている。
戸谷さんが考えてきた彫刻についての一貫した問題意識を、鑑賞者が70年代から現在までを往還しながら見られるように提示されている点で、極めて示唆に富んだ構成である。
本展では、戸谷さんの彫刻観への糸口として、「表面」や「構造」といった独自の彫刻概念に、日本語の言語構造への深い思索が反映されていることにもフォーカスする。
主な作品紹介(展示順)
雷神ー09 2009年
「雷神ー09」(2009年)は、木が雷に打たれた姿から着想。表面に刻まれている無数の傷は、視線によって彫り出されたものが彫刻になるという戸谷さんの彫刻的思考に基づいている。視線は、身体性や触覚性と内包しあう関係にある。
森 Ⅸ 2008年
洞穴体Ⅴ 2011年
グリッドが刻まれたミニマルな立方体の外側に、人物の影が彫られている。その空洞は、錯綜する視線が刻まれた立方体の内側に向かって突き出し、〈森化〉の形状をなしている。
地霊Ⅲ-a 1991年
けもの道Ⅱ 1989年
襞の塊Ⅵ 2018年
視線体-積 2021年
レリーフ 1982年
器Ⅲ 1973年
愛知県立芸術大の卒業制作作品。
コンタクトプリント(戸谷成雄氏所蔵)の複写(上) 竹藪Ⅱ (1975年)
コンタクトプリント(戸谷成雄氏所蔵)の複写(下)上段右より5カット、中段左より3カット 習作 My&Your (1975年)
コンタクトプリント(戸谷成雄氏所蔵)の複写(下)中段右より3カット 石斧 (1975年)
ロープを持って竹藪の中を歩くことで、空間における視線と身体性の交差についた深めた初期の行為記録の写真と、言語、概念と彫刻の発生についての作品のドキュメント写真。
POMPEII‥79 Part 1 1974/1987年
イタリアのポンペイ遺跡から着想した戸谷彫刻の起点ともいえる作品。1974年の初個展で発表された。火山灰に埋没した人間の身体が空洞として残り、実体と空間が反転していたことから、ポジとネガ、内と外という対概念の中間にある「表面」の概念にたどりついた。
連句的 Ⅱ 1996年
「連句的」は、1970年代半ばから1980年代初めにかけての彫刻を問い直す試みを「発句」とし、そこから派生した作品のシリーズである。
〈連句的 Ⅱ〉(1996年)は、〈露呈する《彫刻》Ⅲ〉(1976年)における視線の錯綜と見えない彫刻で充満する空間のシステムを、阪神大震災直後の状況に援用している。
床には、曼荼羅を基本形とした図形が引かれ、交点に粘土の塊が置かれている。
1996年に発表されたケンジタキギャラリー(名古屋)でのインスタレーションを部分的に再現した。筆者は当時、新聞記者として、同ギャラリーの旧大和生命ビルの広大なスペースで展開させたこのインスタレーションを取材している。
射影体 2004年
手前の1点の光源から光を当てたときに壁面に映った人物像の影を基盤とし、手前に向かって、森的彫刻が迫り出してくるイメージである。
森化 Ⅱ 2003年
角柱を2つに割ることで、双影関係となった人物の影が対となっている。壁面側の輪郭はキュビズム(近代彫刻が解体されていくきっかけ)的形態で、手前は、時代に逆行するようにバロックへ的形態へと変容させている。
《境界》から Ⅲ 1995-96年
1994年からの〈《境界》から〉シリーズでは、彫刻は、現代社会の諸相を反映し、家や個体といった、より具体的なイメージを伴う複合的な構築物となった。
戸谷さんは、現代社会の境界の欠如に対し、境界の顕在化、再構築を目指した。〈《境界》から Ⅲ〉は、山津波などの自然の脅威に裏山から襲われた日本家屋のかたちをつくり、縁側にあたる部分では、縄文時代における幼児の住居内埋葬が行われている。
森の象の窯の死 1989年
水根 Ⅱ スワ 2005年
地図からの発想で制作した作品。地形が反転し、諏訪湖(長野県)を中心にさまざまな方向から流れてくる水脈が木の根のように張り巡らされている。
双影体 Ⅱ 2001年
わずかな間隔をあけて並ぶ2対の直方体は、多視線的に複雑に彫り込まれ、折り畳まれた襞に覆われている。その構造は、中央を対称面として鏡面関係となっている。
対概念の関係性は、あえて作られた「間」と豊穣な襞のずれによって、空間に揺らぎをもたらしている。
※2021年のケンジタキギャラリーの個展「戸谷成雄 視線体 – 連」のレビューも参照。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)