記事内に商品プロモーションを含む場合があります

徳重道朗さんを偲ぶ会 名古屋で開催

  • 2023年3月29日
  • 2023年3月29日
  • 美術

 2023年2月26日に急逝したアーティスト、徳重道朗さんを偲ぶ祈りの会が3月26日、名古屋市中川区のミャンマー式仏塔、ミッタディカパゴダで開かれた。

 国際芸術祭「あいち2022」のラーニングプログラムで取り組んだプロジェクト《穴あきの風景》で、愛知県で暮らすミャンマーの人々と交流を深めたことから、会は愛知県の在日ミャンマー人の拠点となっているパゴダの施設での開催となった。

 徳重さんは1971年、愛知県生まれ。名古屋工業大学卒業、名古屋芸術大学大学院修了。筆者は、徳重さんが大学院を出て、アートスペースdot(愛知県西春町)の設立・運営に関わった1999年ごろからの知り合いである。

徳重道朗

 親しかったわけではなく、画廊などで会って話す程度の間柄だったが、彼の学生時代の頃から作品を見ている1人として、とても残念である。ご冥福をお祈りいたします。

 以前は、コンセプチュアルな作品を制作していたが、近年は、地域やコミュニティを掘り下げてリサーチするとともに現場や人々に実践的に関わり、そのプロセス、背景をインスタレーションとして発表していた。

 主な展示に、個展「ゆきゆきて神戸」兵庫県立美術館アトリエ1(2020年)、グループ展「パラランドスケープ”風景”をめぐる想像力の現在」三重県立美術館(2019年)、あいちトリエンナーレ地域展開事業「Windshield Time-わたしのフロントガラスから 現代美術 in 豊田」豊田駅周辺の様施設(2019年、愛知)、Assembridge NAGOYA 2016「パノラマ庭園 ─ 動的生態系にしるす─」ポットラックビル及び名古屋港─築地口界隈(2016年、愛知)などがある。

徳重道朗

 「あいち2022」でミャンマーに関わった徳重さんは、恩返しのつもりでと、毎週、募金活動に参加するなど、真摯にミャンマーに関わり、ミャンマーの平和を願った。関係者によると、徳重さんは、亡くなる数日前まで、プロジェクトのこれまでと今後について議論を進めていた。アート活動をきっかけにミャンマーに関わることになった自分の活動がどういう意味をもつのか、常に自問していた。 

 祈りの会には、ミャンマーの人や美術関係者など、30人ほどが出席した。

 会場には、徳重さんのミャンマーの人たちとの交流や、笑顔の写真が掲示された。「私たちミャンマー人にとっては、民主化の英雄(ヒーロー)でした」という言葉もある。

徳重道朗

 作品やアート活動も紹介された。会では、ミャンマー式でお経が読まれた後、親しかった人たちが徳重さんへの思いを涙ながらに語った。

 「自分のできることなら何でもするよ」「ミャンマーの人のためにできることがあったら教えてね」「諦めないで、頑張って」。そう語り、ミャンマーに平和が訪れるよう、募金活動などを心から応援してくれたという。募金活動中は休まず、街頭に立ち続けた。

 徳重さんが真摯にミャンマーに関わり、ミャンマーの人たちから信頼されていたことがひしひしと伝わってきた。

 「あいち2022」の活動の詳細はこちら。徳重さんは、愛知県で暮らすミャンマーの人々の生活について調査。活動を通して、日本で生活する彼らが発見した「風景」をどうすれば共有できるのか、試行錯誤しながら考えた。

最新情報をチェックしよう!
>文化とメディア—書くこと、伝えることについて

文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

CTR IMG