YEBISU ART LABO(名古屋) 2021年7月29日〜8月30日
東内咲貴
東内咲貴さんは1993年、広島生まれ。京都市立芸大を2017年に卒業。その後、愛知県立芸術大学博士前期課程油画版画領域に進み、2021年3月に修了した。
2021年3月に退官され、7月の逝去が伝えられた設楽知昭さんが指導した最後の学生の1人である。
現在の現代美術における絵画の文脈とは異なるところで、絵画という芸術、自分の作品のための制作を追究したいと考え、学部で通った京都市立芸大ではなく、愛知芸大の設楽教室に参加したとのことである。
名古屋大学教授、秋庭史典さんが設楽さんについて書いた「絵の幸福—シタラトモアキ論」の中に、設楽さんと学生の間で交わされた絵画についての深いやりとりが記されているが、その中に、東内さんもいたのかもしれない。
設楽さんとの電話のやりとりについて書いた個展DMの文章が心に響く。
東内さんが設楽さんをとても信頼し、慕っていたことが伝わる。そして、展示は、YEBISU ART LABOの説明どおり、設楽さんへのオマージュを超える内容となっている。
展示からは、設楽さんの影響が見て取れるが、東内さんの作品もとてもしっかりしていて水準が高い。今後が楽しみな若手である。
同時に、筆者は、2020年秋の設楽さんの退任記念展を思い出し、設楽さんの作品が今後も生き続け、より多くの人の心に響くであろうことを思った。
退任記念展については、「設楽知昭退任記念展 愛知県立芸術大学サテライトギャラリーSA・KURA 10月10日〜11月8日」を参照。
SAKI TOHNAI GALLERY
さて、東内さんの個展の内容である。
東内さんは、《SAKI TOHNAI Gallery》という架空のギャラリーという形式で、作品を制作している。
具体的には、自分で描いた絵を架空のギャラリーとしての現実空間に展示。それを撮影したイメージを出力し、パネル張りしている。
つまり、東内さんは絵画を描いているが、私たちはYEBISU ART LABOに足を運ぼうとも、それを物質としてはほとんど見ることができない。
だが、会場に来ると分かるのだが、絵画を《SAKI TOHNAI Gallery》に展示したイメージは、現実の絵画以上に「絵画」的な印象を与える。
それこそが「絵画」であるという存在感があって、むしろ、《SAKI TOHNAI Gallery》に展示された本当の絵画がイメージに見えたりもする。確かに、それは写真の中のイメージに過ぎないのだが‥‥。
この感覚は、展示会場に来ないと、伝わらないものである。つまり、絵画が入れ子構造になったイメージと、元の絵画との関係が錯綜し、全体が《メタ絵画》になっている。
それは、写真のイメージの中にある物や構築物、あるいはCGと思われるイメージが妙に生々しく感じられるせいもある。
また、写真の中の仮構のギャラリー空間で遠近法が強調され、イリュージョニスティックな空間性が真に迫るせいもある。
展示会場に、絵画のイメージに関わる仮面のような顔のオブジェが展示されているのも興味深い。
つまり、YEBISU ART LABOの空間に展示されたこの顔のオブジェは、東内さんの平面作品(写真)、その写真の中の《SAKI TOHNAI Gallery》の空間や、さらには、その中に飾られた東内さんが実際に描いた絵画平面、そしてその絵画空間というように、次元を行き来する関係を暗示する。
こうした絵画空間と現実空間、存在とイメージ、視覚をめぐって、幾重ものレイヤーを関連づける方法が真新しいわけではないが、絵画を見ることの謎めいた感覚、スリリングな世界観が丁寧に提示されていて、とても刺激的である。
この絵画と空間、あるいは作家、鑑賞者の関係を、絵画の可能性と見るということの意味から考えるのが東内さんの作品といえるかもしれない。
東内さんが強い関心をもっているという人類学や、生物学、仏教哲学なども、絵画のあり方を巡る東内さんの思考に影響しているのだろう。
筆者は、「設楽知昭退任記念展 愛知県立芸術大学サテライトギャラリーSA・KURA 10月10日〜11月8日」を見たとき、設楽さんの作品にも仏教的な背景を感じたのだが、東内さんの作品にもそうした部分がある。
東内さんは、「絵画の死」と言われながらも展開してきたアートとしての絵画の文脈から離れ、それとは違う可能性の追究に挑んでいる。
絵画を単なるコレクターアイテムや、投機対象でなく、まして、死んだものではなく、生き物のように人間に働きかける存在として、制作する自分とともに発見しようとしている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)