名古屋芸術大学アート&デザインセンター東西ギャラリー(愛知県北名古屋市) 2021年10月25日〜11月16日
The Practice of Everyday Practice 日常の実践の練習
名古屋芸術大学アート&デザインセンターによるグループ展である。会場は、名鉄犬山線を挟んだ2つの校舎のArt & Design Center East / Westの東西両ギャラリーを使っている。
11月13日午後2時から、西キャンパスB棟2階大講義室でアーティストトークがある。
キュレーションは、福岡県生まれのインディペンデント・キュレー ター、西田雅希さん。
英国ロンドンで10年間、アートエデュケーション、キュラトリアルに従事し、あいちトリエンナーレ2016にアシスタント・キュレーターとして関わったのを機に日本に拠点を移した。
国内外で批評活動と展覧会の企画、アートプロジェクトのマネジメントなどに取り組む。アッセンブリッジ・ナゴヤや愛知県主催のアートプロジェクト「AICHI⇆ONLINE」 、アートラボあいちで2020年に開催された「task」などに関わった。
参加アーティストは、泉孝昭さん、大田黒衣美さん、国谷隆志さん、三宅砂織さん、mamoruさん5の人である。
「日常」をテーマに、《 practice 》の言葉が持つ「練習」「実践」「習慣」の意味に着目したテーマ展である。
キュレーターの西田さんは、アーティストによる日常に対する態度から、現在性と連続性、確かさと不確かさ、意識と無意識という移行の感覚を読み取っている。
展示自体にさまざまな仕掛けがしてある。西ギャラリーでは、通常のArt & Design Center Westの正面玄関は閉じていて、入り口を変えて右に迂回させるなど‥‥。
「日常」という主題は反復されながら、同時に、「今、ここ」において更新され、新たな時代性をまとっていく。そんなことを感じさせる現代美術展らしい現代美術展である。
三宅砂織
三宅砂織さんは1975年、岐阜県生まれ。京都市立芸術大学卒業。英国にRoyal College of Art への交換留学で滞在し、2000年、 京都市立芸術大学大学院美術研究科を修了した。
フォトグラムの手法を使い、既存の写真や印刷物のイメージを描いた透明フィルムの陰影を印画紙に焼き付けた作品や、映像作品などで注目されている。
近年の展覧会に、岐阜県美術館の「アーティスト・イン・ミュージアム AiM」(2021年)、東京都現代美術館の「MOT アニュアル 2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影」 (2019〜2020年)などがある。「task」でも、作品が紹介された。
映像インスタレーションと、サイアノタイプ、ゼラチンシルバープリントのシリーズが展示された。
映像は、水面に映った樹々を定点的に撮影したものだが、ストリングカーテンや床面にも投影・反射し、鑑賞者はイメージが切断、連続する複雑な揺らぎの空間に身を置くことになる。
映像、影を切り口に私たちに内在する「絵画的な像」を主題とする三宅さんの問題意識が凝縮した展示である。
ゼラチンシルバープリントの作品は、いわゆる白黒の銀塩写真だが、驚くほど絵画的である。また、サイアノタイプ(日光写真)の連作は、裸体彫刻がモチーフとなっていて、作者に制作の背景を聞いてみたい作品である。
筆者は、「アーティスト・イン・ミュージアム AiM」の際に、三宅さんから作品について詳しく話を聞くことができた。詳しくは、そちらも参照してほしい。
国谷隆志
国谷隆志さんは1974年、京都府生まれ。1997年、成安造形大学を卒業。 京都、大阪、兵庫を中心に展示を重ねている。
筆者は、名前は知っているが、これまで見る機会はほとんどなかった。今回は、作家自身がよく使うネオン管を素材にした作品がメインである。
物質性、特質が強い素材を使っているが、作家が意図しているのは、空間と人間との関わり、身体性への作用のようである。
その意味では、彫刻、なかんずく、ミニマリズムを参照すべきなのかもしれない。
「Spaceless Space:New Memory」(2021年)では、赤色に発光するネオン管が垂直に整然と吊るされている。カーテン、あるいは、すだれのように空間を仕切っているので、光のカーテンと考えてもいいだろう。
筆者が気になったのは、ネオン管を包むガラス管が数珠つなぎ状になって、連続するくびれをもちながら、微妙に変形している点である。
国谷さんのこの作品では、素材に「息」と書いてあることから、吹きガラスで制作するときの呼吸によって、ガラス管の歪みが生じていると思われる。
別の作品では、ネオン管が、壁に水平にしつらえられたガラスの上にへんぺいに載っていて、鑑賞者が対峙すると、むしろ、ネオン管そのものより、空間を淡く包む白い光と、水平線、それを支える垂直線が意識される。
そして、ガラス板の下から見ると、このネオン管が「TEN DAYS LATER」(10年後)のサインになっていることに気づくのである。
国谷さんの作品は、空間の垂直性、あるいは水平線を認識させつつ、鑑賞者の移動とともに、垂直・水平という幾何学とは異なる現在の場所性、つまりは生の感覚を駆動させる。
mamoru
mamoruさんは1977年、大阪生まれ。2001年、ニューヨーク市立大学音楽学部卒業ジャズピアノ科卒業。2016年、ハーグ王立芸術アカデミー/王立音楽院・大学院マスター・アーティステック・リサーチ修了。
主な展示に、「Archives of Salvage Archaeology」(国立台湾史前文化博物館、台東、2020年)、「他人の時間」(東京都現代美術館、2015年)、「再考現学 / Re-Modernologio」(青森国際芸術センター、2011年)などがある。
筆者は初めて見る作家である。資料、インタビューなどのリサーチや、状況の再現、フィールドレコーディングなどとともに、日常のかすかな響き、声に耳を傾け、複数性の世界を開示する作家のようである。
mamoruさんにとって、「リスニング」とは、音への想像や消された歴史の声をすくいとる姿勢を含め、オルタナティブな音の風景、歴史の襞に覆い尽くされた残響、見えない世界を拡張することである。
今回のメイン作品「声を挙げ、絶やさない—NEVER BE NO VOICE」は、2つの映像とサウンドによるインスタレーションである。
映像には、学生たちが2つのキャンパス間を移動し、「育ててきた声」を出していくパフォーマンスが収められている。
コロナ禍、SNS等によるコミュニケーションの変容の中で、失われる声が、自ら通う大学の周辺という学生にとっての日常の環境の中で問い直されているように見受けられた。
大田黒衣美
大田黒衣美さんは1980年、福岡県生まれ。東京造形大学造形学部美術学科絵画科専攻概念表現研究課程卒業、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻油画修了。
ウズラの卵の殻やチューイングガム、石膏やビニールシート、トタン板、テーブルクロスなど、従来とは異なる素材を使った作品を展開させている。
「task」展で見せた、猫の背中の上にチューインガムを載せてイメージ化した作品を今回も展示した。
ありふれた日常の量産品を直感的に構成しながら、意味性を欠如させた、曖昧とした作品は、触覚性とユーモア、宙吊り感、居心地の悪さとともに軽やかな現代性をまとっている。
泉孝昭
泉孝昭さんは1975年、福岡県生まれ。 愛知県立芸術大学美術学部油画専攻卒業。愛知県在住。
筆者は、1990年代に運営されたアーティスト・ラン・スペース「dot.」などでの展示を見ている。その後、「あいちトリエンナーレ2010」に参加した。
素材も空間も極めて日常的なものでありながら、最小限の手を加えることで、空間に変容をもたらす。
まさしく今回のテーマにふさわしく、日常と非日常、意識と無意識、創作とそうでないもの、作品と非作品のぎりぎりの感覚がある表現である。
今回は、長大な亜鉛スパイラルダクトを空間に立て掛けた作品や、高所作業台が床でなく、壁に設置された作品が展示された。
泉さんの作品には、美術的な理論を超えた問いかけがある。それは、肯定と否定、目的や在ることからのズレ、何かと何かでないものとの亀裂、揺らぎを認識させ、拡張する表現といえばいいだろうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)