ギャラリーヴァルール(名古屋) 2022年10月18日〜11月12日
寺脇扶美
寺脇扶美さんは1980年、愛知県生まれ。2007年、金沢美術工芸大学大学院美術工芸研究科絵画専攻日本画コース修了。
日本画を学んだ寺脇さんはトリエンナーレ豊橋星野眞吾賞展(愛知県豊橋市)やシェル美術賞、はるひ絵画トリエンナーレ(愛知県清須市)などの公募展に応募・入選するなど、画家としての活動を中心に据えてきた。
寺脇さんが出品した「現代美術のポジション 2021-2022」(名古屋市美術館)で、これまでに制作したさまざまな作品を見たとき、絵画形式を問い直す試みの中に、絵画を超えていこうとする萌芽を確認することができた。
現在、寺脇さんの作品は、コンセプチュアルな方向を含め、多様な展開を見せている。
寺脇さんをそうした制作に向かわせた1つは、2019年に体験した出産である。出産、育児によって、人間と世界、自然、宇宙をより深く洞察することになった。
今回の個展では、そうした寺脇さんの現在地点を見ることができる。
2022年 SPACE
今回展示されたcrystal、sightの両シリーズは、ポジション展でも出品された。
crystalシリーズは、鉱物のデッサンをし、その上にトレーシングペーパーを重ねて線だけ抽出。その線をデジタル化して凸版をつくって、エンボス加工、日本画着彩をするという複合的なプロセスで作られる。
目に見える世界をどう捉え直すか。対象に対して、分解と再構築を繰り返していくことで、多様性、多視点を超えた新たなイメージへと展開するダイナミズムが探究されている。
出産や育児の体験を基に制作された作品がsightシリーズである。出産・育児によって気づいた社会的なまなざしが素直に作品に現れている。
この作品は、和紙に水彩絵具で、授乳、出産、おんぶなどのイメージが描かれている。ユニークなのは、裏彩色であること。つまり、絵具が裏側から塗られている。
しかも、日本画の技法で、にじみ止めをする礬水引きがされている。したがって、その部分は、イメージが消されたようになっている。出産、育児が社会から見えなくなっている状況そのものが表象されているのである。
以下の作品はいずれも今回、発表された新作である。
「Blessing」(祝福)は、寺脇さんの赤ちゃんへの思いから生まれた、まさに命の誕生を寿ぎ、それを宇宙との関係で捉えた作品である。
ある特定の人の誕生日、生まれた日の月齢などを組み合わせた小さなオブジェといっていい作品である。産湯からの連想で湯桶、宇宙とのつながりで地球にも月にもある鉱物「かんらん石」も使われている。
138億年前の宇宙誕生(ビッグバン)から連なる星の欠片である人間生命の誕生が、タイトル通り、宇宙的な想像力の中で祝福されているのだ。
「女性像 / 月小屋」は、月経期間中の女性が血の穢れを忌んでこもった小屋のイメージを描いている。また、同様に、「女性像 / 産小屋」は、 出産に際して用いられた産小屋が描いてある。
月小屋は血の色である赤で、産小屋は白で描写。いずれも、月経中、あるいは、お産の女性が不浄として、小屋で家族と寝食を別にした風習で、日本でも前近代に実際に行われた。
生命力が落ちている女性を休ませる意味合いもあった。これらのイメージが、スタンド付きの刺繡枠を使って展示されているのも意味深である。
刺繍を含む手芸は、主に女性による家庭での趣味的な制作行為として、ファインアートの中核から周縁化されてきたが、現在は、新たな機能や価値が注目されている。
女性が歴史的に、あるいは現代において、見えにくくされている状況を新たな視点で捉え返す狙いがあるのだろう。
月の満ち欠けと潮の満ち引きをテーマにしたドローイング作品も、女性の月経周期との関係から、刺繍枠を使って展示している。
今回は、数字に着目した作品も出品された。
「成長記録 / 育児記録」は、寺脇さんが育児アプリを使って記録した我が子の成長と育児の過程を作品化したドキュメントである。
紙に数字だけが並ぶ大きな巻物のような作品である。授乳、おむつ交換など、赤ちゃんを育てたときのな反復的な基本タスクを、量や回数、時間など、あえて数字のみを抽出してデジタル化するように羅列している。
また、「生きるための指標 / 育てるための指標」は、在住地の自治体から渡された「母子健康手帳副読本」の中の文章から、やはり数字だけを抽出した作品である。
「成長記録 / 育児記録」では、生々しい成長・育児の一コマが数字によって抽象化され、「生きるための指標 / 育てるための指標」からは、管理され、標準化された現代の育児が浮かび上がる。
そして、タイトルに見られるように、同じ現象においても、子=「成長」「生きるため」と、母=「育児」「育てるため」という、別人格の人間、生命がある。
ここでも、寺脇さんは、一方の視座からだけ見ることはしない。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)