画廊若林(名古屋市) 2021年10月9〜24日
建部弥希
建部弥希さんは1979年、名古屋市生まれ。2002年、愛知県立芸術大学美術学科油画専攻卒業、2004年、同大学院美術研究科油画専攻修了。ギャラリーでの個展を中心に精力的に作品を発表している。
作品は、キャンバスに油絵具で描き、一部に水性アルキド樹脂絵具を使うのが基本。ほかに、紙にアクリル絵具で描いた作品もある。
水面に映る光、あるいは、木漏れ日、陽だまりの揺らめく光など、刹那の連続であるような光の現象、その時間のうつろいがモチーフになっている。
以前は、俯瞰的な街の風景を描いたが、そうした中で、空や雲、光、気象、流動する大気、あるいは影などの現象に関心をもったことで、現在の作風へと展開していった。
日本の伝統絵画の余白となる空間への興味も、こうした作品につながっている。大和絵の「すやり霞」の表現も影響していると知って、なるほどと思った。
そして、ゆらめく
今回の個展会場では、比較的大きいサイズから小品まで、バリエーション豊かな構成で展示されていた。円形や正方形のキャンバスを使った作品もあった。
線は使わず色彩で描いていて、筆の跡、マチエールが残らないように絵具を重ねていく。絵具を厚塗りすることはしない。
長い筆の感覚、つまり画面までの距離感が好きでないといい、画面にふれる実感とともに、支持体に色彩を浸透させている。聞くと、筆のほかに不織布を使って描いている。
記憶の中の光景にふれる、ふれられる、つまり現象に包まれる感覚で描いているのかもしれない。
身体と画面との距離を近づけ、うつろいの瞬間が重なっていく時間をできるだけ自分自身の感覚としてダイレクトに定着させているのだろう。
水性アルキド樹脂を併用するのも、油絵具の上で、はじかれるように広がる色彩によって、うつろいの感覚を表現したいからであろう。
若い頃から好きだった鈴木其一など琳派の影響で、たらしこみのように絵具が薄くにじむ効果を出している。
画面の印象は、実は多様である。
画面の一部に大きな不定形な色面が見えるものもあれば、そうしたものがなく、点描に近い短い筆触が重なっている部分がほんとどを占めるものもある。
筆触が横、あるいは縦というように、同じ方向で流れているもののほか、縦の筆触と横の筆触がぶつかるように合流しているものもある。
あるいは、矩形の色面が重なり、構成的な要素が強いもの、あるいは、逆に色面がなく、色彩が包み込むように茫洋した空間をつくっているものなど‥‥。
そうした多様な画面において共通しているのは、触覚的なマチエールや油絵具の物質感、強い筆勢を退けている半面、色遣いが奔放であることだろう。
大きな身振りによって身体性を強調することはなく、むしろ、画面との距離を縮めて、布や筆で自分自身も豊かな色彩空間に包まれるように描いていることが想像される。
いろいろな色彩が重ねられているが、それらの過剰ともいえる色彩が柔らかいグラデーションで溶け合うというよりは、衝突、干渉しあっているように見えるところもある。
二年ほど前までは、下層に紫など濃い色を塗って、上の層に明るい色を重ねていたが、白を使うようになってからは、下地に濃い色を使わない作品も描いている。
そうした作品では、全体に画面が明るくなり、発色よく色彩をふわっと響かせるようにしている。
布を併用して、筆の痕跡を消し、絵具のにじみの効果も使うなど、揺らめく色彩の重なり、流れの中に風景を見ている。
堅牢に構築された空間とはほど遠い、おびただしい色彩の織りなす深度の中に、見えないものを見る、という感覚である。
同時に、そうした光のうつろいは、具体的な光の現象を超えて、あらゆるものの存在の無常、不生不死の変化そのもののメタファーにもなっている。
どこか放縦、過剰な色彩は、穏やかなばかりでなく、自然とともに不合理なものも伴っていて、ときに畏怖されるもの、不穏なもの、激しささえもはらんでいる。
ある条件で現れ、うつろい、変化して、消えていく。しかし、存在自体が消えるわけではなく、条件によって別のかたちで現れる。神秘的なそんなうつろいである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)