岐阜県美術館、なうふ現代で
ゼラチン・シルバー・プリントをベースに絵画と写真のあわいの表現を追究する田中翔貴さんの個展が、岐阜市のなうふ現代で2021年5月15日〜6月6日に開催された。
また、岐阜県美術館では、アーティスト・イン・ミュージアム AiM Vol.10 として、アトリエ棟で2021年4月28日から滞在制作が行われ、7月16日まで作品が展示されている。
これに合わせ、なうふ現代でも、6月26日、7月3日に追加で鑑賞できるようになった。
岐阜県美術館の公開制作期間は4月28日~5月23日、作品展示は5月29日~6月27日の予定だったが、コロナで6月20日まで臨時休館となったのを受け、 7月16日まで会期が延長された。
田中さんは1989年、愛知県生まれ。2012年、名古屋芸術大学メディアコミュニケーションデザインコース卒業、2014年、名古屋芸術大学大学院メディアデザイン研究領域修了。2017年から、三重県いなべ市を拠点に制作している。
ゼラチン・シルバー・プリントは、19世紀末に発明され、現在まで使われている白黒写真の仕組みのことである。
田中さんは、一般向けに販売されている印画紙は使わず、感光剤を紙や板などの支持体に塗る作業にも関わる。
暗室での感光剤の塗布や、イメージの投射・感光、感光剤による描画、現像など一連のプロセス全体が田中さんにとっての制作なのである。
主なモチーフは、自然、風景である。岐阜県美術館での制作では、植物の形と色を布に写し込む染めの技法を織り交ぜた制作に挑んでいる。
なうふ現代(岐阜市)
田中さんが住む三重県いなべ市の森林、山や、佐久島(愛知県)での制作・発表との関わりで縁がある三河湾の海景をモチーフにしている。
メーン作品は、縦約270センチ、横390センチの巨大サイズ。画面の上方に遠景の森林があり、手前に田植え前の水田が広がっている。田んぼと森林の間には獣害対策の電気柵が見える。
いなべ市であれば、生活空間の周辺にある平凡な風景だが、田中さんの独特の制作プロセスによって、眼前のリアルな風景とは異なる雰囲気を表出させている。
代掻き(しろかき)前に雑草が生え、水に周囲の風景が映り込んだ水田、遠景の深い森林と、左右に延びる電気柵が、濃密なモノクロームによって、どこか不穏な異空間として浮かび上がっているのである。
ありきたりの森林が私たちの生活空間から異界へ向かう入り口に見える一方、反転して、闇の奥から、こちら側を見られているような畏怖にも似た思いに駆られる。
森と水田の間にある柵がそうした感覚をいっそう強めている。見ている私たちは柵の外にいるのか、内にいるのか‥。
光と影を刻印するのが写真だが、田中さんは、ゼラチン・シルバー・プリントの過程、すなわち、光学系装置によって得た緻密な実像を基にイメージを可視化させる 感光剤塗布、引き伸ばし、露光、現像などのプロセスに深く関わることで、不可視の世界をまさぐるように不均質な闇を浮かび上がらせる。
既成のルールから外れた化学実験のような制作プロセスによって生まれた荒れた質感や不鮮明さ、ムラ、シミなど、意図せぬ反応が不穏さをいっそう強める。 システムの支配から自由になることで絵画的な効果を生んでいるのである。
1年ほど前からは、現像を2回以上繰り返すことで、絵画的な深みを増している。
画像を定着させる1回目は、現像液の調合比率や温度を変え、化学反応の差異によって、玉虫色やシルバーなど画面の色合いを変化させる。
2回目は、 ドローイングをするように 感光剤を刷毛で加え、ときにドリッピングによって飛沫を散らせる。さまざま方法で画面のイメージそのものに手を加えるのである。
さらに3回、4回と現像を重ねている作品もある。レイヤーが重ねられることで 既成の秩序が揺さぶりをかけられ、作家自身さえ予期せぬイメージと出会うことになる。
だから、田中さんの作品は写真がモチーフになってはいるが、通常の写真のように複製可能ではない。1回性の「写真/絵画」として出現した作品は、ある種のアウラを伴っている。
写真と絵画は、因縁めいた関係の中で歴史を重ねているが、元の風景や自然を写した実景から異質なものへと変化した田中さんの作品は、写真と絵画のあわいに、イメージ/物質として立ち現れている。
日常から変換された異世界。そうしたイメージ/物質は、さまざまな対比的な構造を内在させている。
イメージと物質、ポジとネガ、 光と闇、白と黒、自然と人工、具象と抽象、空間と平面、垂直と水平、「近い」と「遠い」、「見る」と「見られる」‥。見る者は、それらの間を往還することになる。
それはまた、写真と絵画を行き来する田中さんの作品のメタファーとも重ねる。
三河湾の海岸を撮影した3点を縦長に構成し直した作品や、生い茂る草むらをモチーフにし、パネルを変形させた作品など、作品は、いずれも実験的である。
さまざまに隠喩的な越境を重ねながら、 写真のプロセスと時間の蓄積によって、絵画性と写真性のあわいに立ち上がるイメージ/物質である。
岐阜県美術館
アーティスト・イン・ミュージアム AiM Vol.10 田中翔貴
岐阜県美術館の滞在制作では、これまでにない興味深い試みをしている。
美術館のある庭園で撮影したモノクロ写真と、植物の断片をそのまま写し取る、「形地染め」と自ら名付けた染色方法による色彩を重ねた作品である。
2つのイメージがオーバーラップする中に時間性を内在させ、はかなさと美しさが共存している。
展示は、庭園の豊かさと響き合うようなインスタレーションになっていて、鑑賞者は、ギャラリー空間を散策するように、あるいは眼差しを遊ばせるように楽しむことができる。
制作プロセスとして、田中さんは、まず植物を中心とした庭園の光景を撮影。感光剤を塗った和紙、つまり自家製の印画紙にイメージを投影・感光させる。 洋紙でなく、和紙を選んでいるのは、あとで植物の色素を写し取りやすくするためである。
次の段階が「形地染め」。モノクロ写真の撮影から2週間ほど後、今度は、撮影地点と同じ場所で植物を採取する。
それを麻布で挟み、金づちで叩いて、植物の形と色彩を麻布に転写するが、このとき、既に庭園の風景写真がプリントされた和紙を下敷きにする。
こうすることで、和紙に植物の色素が染み込み、庭園のモノクロイメージに、実体的な植物による形と色がオーバーラップするように重ねられる。
写真と染めという組み合わせを意外に思うかもしれないが、草木染めから発想した 「形地染め」 も、色落ちしないよう、アルミニウム、鉄、銅で媒染する過程で、化学変化が見られるなど、写真の現像と類似しているところがある。
会場では、植物の形と色彩が転写された麻布と、和紙にモノクロの風景写真と植物の色素のレイヤーが重なったものをペアにして展示している。
田中さんは、モノクロの風景イメージと染めの植物の大きさが一致するよう、あらかじめ、写真を実物の植物と同じスケール感に引き伸ばしてプリントしている。
何よりも重要なのは、モノクロ写真を撮影した時点と、同じ場所で植物を採取・染色した時点との間に、2週間ほどの時間差があることである。
この時間性こそが、今回の田中さんの試みのポイントではないだろうか。2週間の時間が流れる間に、植物は茎や葉を伸ばし、あるいは、枯れていく。
植物は生き、そして死に近づいている。つまり、この時間差が表象するのは、生と死である。
過去に存在したことの光学的痕跡 という意味での過ぎ去った時間の「死」のメタファーに対し、植物の生きたあかしとしての色彩、すなわち「生」が重ねられているという言い方もできるかもしれない。
同じ場所で2週間をあけ、光学的撮影と植物の採取・転写というプロセスを行い、2つのレイヤーを重ねた今回の作品は、レジデンスならではとも言えるだろう。
田中さんが撮影、あるいは採取している植物は、いわゆる雑草の類いを含め、身の回りの生活圏にあるものばかりである。
普段は見逃している植物の美しい色彩、みずみずしい生気に気づくという意味でも、興味深い作品である。
会場では、これらの作品を壁面に掛けるのではなく、木のフレームを使って、高低差を変えながら、空間に自立させて配置している。
高低差があるのは、実際に庭園で植物を見るときの視線と一致させているためである。
座って鑑賞できるスペースを設けるなど、庭園でそれぞれの植物を見るときの視線がそのまま展示空間につながるように配置されているのである。
こうした展示方法をとることによって、庭園と展示が一体感のあるものとなり、鑑賞者は庭園と同様、作品の間を散策するように眼差しを送ることができる。
庭園の風景や植物の色彩が風に揺らぎ、それらの間を眼差しが通り抜けていく。とても心地よい空間である。
6月27日に開催された「形地染め」の体験プログラムも、多くの参加者が楽しんでいた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)