ケンジタキギャラリー(名古屋) 2022年3月26日〜4月28日
吉本作次
吉本作次さんは1959年、岐阜市生まれ。名古屋芸術大を卒業し、1980年代から活躍している。名古屋芸術大芸術学部芸術学科美術領域洋画コース教授。
2020年のケンジタキギャラリーでの個展「巨木信仰」も素晴らしかったが、今回の作品群も、バーネット・ニューマン(1905-70年)のジップを想起させる作品を中心に、とても見応えがある。なお、2023年の個展「吉本作次 素色、素描」も参照。
1つの1つの作品に、十分な時間と制作プロセス、思考を重ね、古今東西の美術史への分析を傾けた成果として作品を現前させた充実の個展である。
この記事を参考に、ぜひギャラリーで絵画の豊かさを堪能してほしい。前回の個展「巨木信仰」のレビューも参照。
2022年 滝行
前回の個展との継続性を保ちながら、13点が展示された。テーマは「滝行」。油絵具を中心に一部にテンペラ、木炭、岩絵具なども使っている。
巨木とそこに宿る霊威、神域、結界をモチーフとした前回の個展では、鬱蒼とした森の中で下から上へと伸びる樹木の幹と樹洞が大きく描かれた。
今回は、この垂直性がさらに強調されるとともに新たな展開を見せている。
滝行
すなわち、前回の個展では、森、巨樹と樹洞が印象に残ったが、今回は、うねるような樹木を描きながら、抽象化した垂直性へと重点が移された。
そこで参照されたのが、バーネット・ニューマンのジップと呼ばれる垂直の線条と、根津美術館所蔵の国宝「那智瀧図」。
吉本さんは、今、この時代に生きる自身という画家が、日本という場所から世界に向けて描くことに極めて意識的である。
作品の中で志向されるのは、膨大な時間の中で人類によって生み出されてきた芸術の歴史であり、豊かな文化、歴史であり、高き精神性である。
「滝行 夜」(未完)やその下図的な作品である「滝行」は、深い森の中央に、垂直に伸びる柱状構造が見られる。
バーネット・ニューマンの絵画では、大画面において単色で均一に塗られた面と、ジップと呼ばれる垂直の色の帯が特徴的であるが、吉本さんの作品では、この色帯が森の中を貫く滝水の部分になっているのである。
落下する滝の水の一番下にはタイトル通り、滝行をする人が描かれている。
細い筆を丹念に動かし、絵具を緻密に塗り重ねた両側部分とは異なり、垂直に伸びる滝は、淡泊でありながら太い垂直線となっていて、全体に力強い構成である。
滝は、ニューマンのジップがそうであるように画面を分離するものではなく、むしろ、絵画空間を活性化し、全体性の中で、垂直的な力とともに、左右の森との関係で時間性や動きをつくりだしている。
吉本さんはここで、ニューマンが画面を次第にシンプル化していったのとは逆に、それを初期の方へ戻していくように、カラーフィールドに情報量を増やすようように森の有機的な描写を増やしていったともいえる。
両側の空間の豊かで森厳たる領域に対し、静謐な垂直構造を、全体の時間、空間の変化の中で、ブルックナーの交響曲にあるような全休符(無音状態)になぞらえている。
絵画空間の中に、全体性と部分、時間と空間、無と有、瞬間と永遠、人間と宇宙など、さまざまな要素が内在している。
バーネット・ニューマンの絵画の崇高性と「那智瀧図」の神域をモチーフにしたこの作品は、世界の豊かさと秩序において、「荘厳なるアニミズム」(吉本さん)を象徴している。
「木の下で寝ると雲が湧く」「雨の森」「光の粒の木」
同サイズで描かれた「木の下で寝ると雲が湧く」「雨の森」「光の粒の木」は、画面の真ん中に木の幹が描かれた3点組の絵画をである。
この3点組も、真ん中の太い幹が垂直の柱状構造となっていて、ニューマンのジップを想起させる作品である。
つまり、トリプティクのような3点によって、ニューマンの絵画の構造を参照しながら、同じ主題を違う方法で描き分けた作品である。
いわば、「今」という時間の流れの中で、東洋人の芸術家である吉本さんが東西のさまざまな筆法を研究、分析しながら描いた3通りの画面が響き合うように構成されている。
もともと、吉本さんは1つの作品においてさまざまな技法をミックスさせているが、この3点組では、いっそう緻密に多様な技法が駆使され、垂直性のある絵画空間が変奏されている。
特に、吉本さんの線に対するこだわりには並々ならぬものがある。そこに「いい絵とは何か」という問いかけがあり、その裏付けとして最も重視する要素が線なのである。
吉本さんの絵画の魅力は、作品の全体像はもちろん、絵画空間をかたちづくる細部の多様な表情、それを生みだした緻密な描法の表れと、人類が生み出してきた美術史への尊敬と分析であって、それは、大づかみのイメージ、あるいは、いわゆるコンセプトだけでは分からない。
吉本さんの絵画の前でじっくり鑑賞してほしいのは、そのためでもある。
倣王蒙、具区林屋図
この作品は、元時代に活躍した元末四大家の1人、文人画家の王蒙(1308〜1385年)による台北・故宮博物院蔵の「具区林屋図」を吉本さんが解釈し直した作品(未完)である。
右上の太湖から洞窟の道を抜けると、桃源郷のような理想世界があったという絵画である。
「牛毛皴」と呼ばれる王蒙独自のぐねぐねと絡み合うような奇怪な曲線世界を吉本さんは直線だけで描き切っている。
曲線は直線に通じ、直線は曲線に通じるという発想のもと、王蒙の世界観を独自に“編曲”したともいえる作品である。
王蒙の筆法の特徴をつかみ、すべてを直線でつくりかえていく、その構想自体が破格である。
併せて、入り組んだ曲線が直線に置き換えられる、すなわち、図形化することで図と地の変換が起きやすくなり、画面のそこかしこに動きが生じる。
連続した動きのイメージを描くのではなく、図地反転によって、静止した絵画が動きをはらむようにするというのは、吉本さんがずっと意識してきたことである。
吉本さんが色彩を絞っているのは、こうした反転が起きやすいようにするためでもある。
同時に、細部まで丁寧に描かれ、絵画空間が全体性、均一性を保ちながら、中心性がなく、画面の全体が地図のように広がっているのも特徴である。
逍遥するように、まなざしを移動させる中国絵画の感覚を担保しつつ、諸要素を直線化して構成した抽象絵画としての全体性、地図のような俯瞰性をも併せ持っている。
絵画の中に静かなシークエンスが生まれ、地図のような広がりの中をまなざしが移動する。その流れが絵画の時間性、音楽性に通じている。
吉本さんの絵画では、全体性だけでなく、画面に近づき、絵巻物の細部をスクロールするように見る楽しみがある。
それは、音楽のような作品そのものの時間であるとともに、その中をそぞろ歩きするような鑑賞者の自由なまなざしの動きが経験する時間でもある。
戦乱と政治的混乱の中にあっても権力におもねることなく隠遁し、理想世界を追求した王蒙のモチーフは、流行にとらわれず、絵画を突き詰める吉本さんの制作姿勢と重なるところがある。
その他
「観雲亭、今ごろお山は雪だんべ」は、柱によって結界をつくり、手前の空間の外側に別世界を描いた作品である。
サイズの大きな作品ではないが、その中に、ルーベンスやゴッホ、あるいは浮世絵の描き方が引用されている。
「聖地」は、沖縄の御嶽をモチーフにした作品である。御嶽は、琉球王国が制定した琉球神道における聖域。
琉球石灰岩による、穴が開いたフラットな岩崖を、絵画という二次元平面に描いたこの作品から、絵画固有の平面性を強調し、星条旗を二次元に描いたジャスパー・ジョーンズを想起することもできるだろう。
滝行の作品において、滝に打たれているのは、吉本さん自身であろう。吉本さんにとって描くことは、流行に乗ることではなく、尽きることのない修行、すなわち「道」である。
吉本さんは、半ば冗談で、自分は「隠遁作家」だと言う。
それは、世情を思いつつも、それに振り回されず、王蒙のごとく、理想を追究して、静かに自分の世界を深め、丹念に描き続けることである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)