高島大理
galerie deux deux・ギャルリードゥドゥ(名古屋) 2021年11月11日〜21日
高島大理さんは1989年、多摩美術大学絵画科油絵専攻卒業。筆者と同世代で、仕事をしながら制作を続けてきた。
若い30代の頃、画廊で作品を見たが、その後、まとまったかたちで作品を見る機会はなかった。
2020年秋に今回と同じ画廊で個展を開き、久しぶりに楽しんだが、2021年も新作を発表した。
2010年ごろの作品も織り交ぜ、最も古い作品の制作年は2007年。昨年同様、変化に富んだ構成である。
キリンコンテンポラリー・アワード、岡本太郎現代芸術賞(旧・岡本太郎記念現代芸術大賞)=いずれも2003年=など、過去にコンペの類いに出品し、受賞したこともある。
筆者は、個展等で継続して作品を見てきたわけではないが、今回の個展で制作年を追うと、地道に自分のペースで制作していたことに改めて気付かされる。
今から20年以上前、高島さんは、大きな画面にドローイングで空想の世界を描いていた記憶がある。
今回で言えば、2007年制作の「言霊之塔」(写真上)がそれに近く、人類、地球、宇宙をテーマとした壮大なイメージを描いた世界である。
こうした物語性のある空想画が描かれたのは、2010年ぐらいまでである。
以後は、テクスチャーと空気感に関心が移り、そこに絵画があるという超俗とした存在感と、描かれた空間の雰囲気が一体化した作品になっていく。
昨年、今年の展示では、こうした新作を中心に、旧作、近作を含め、実に多様な作品が展示された。
具象、抽象、空想、あるいは、タブロー、ドローイング、書などが併置され、統一感はない。
筆者のような文章書きからすると、やっかいだが、高島さん自身が言うとおり、表現のパレードのようなそうした展示に、一作家の表現の自由さ、楽しさが感取できるのは確かである。
2021年 彼方
それらは、アートイベントの賑やかしや、世に氾濫しているアートコレクターにとっての売れ筋の作品からは縁遠いが、逆に、それゆえに、作者の生きることそのものであるように静かに空間に息づいている。
中心となるのは、グラッシ(グレーズ)という古典絵画の技法で描いた風景画、静物画などで、筆者が最も惹きつけられたのも、これらの作品である。
前述したとおり、そうした作品は2010年頃から制作され、今も継続して描かれている。一部に具象を離れ、色彩やテクスチャーそのものを見せる抽象画もあるが、筆者が好きなのは、具象である。
主なモチーフは、身の周りや名古屋駅辺り、あるいは沖縄の風景、そして、静物である。
対象の細部を見るというよりは、全体を大掴みにして、その空間に漂う空気を手元に運び込んでいる。
いずれも長い年月を経たような複雑なマチエールとくすんだような色彩、そこから来る記憶の奥底に沈潜したようなイメージが筆者の中にしみこんでくる。
グラッシは、乾いた不透明色に薄い透明色を重ねる技法で、レンブラントも多用した。透明色は浮きだし、不透明色は後退して見えることで、光沢と深みを出す。
高島さんは、自身が好きな松本俊介や靉光がこの技法を使っていたこともあって、採用している。
焼き物の器等を目前に置いたときに感じる空気感、佇まいのようなものを絵画作品にも感じてほしくて、グラッシを使っているとのことである。
確かに、そこには単なるイメージのレイヤーではない物としての絵画がある。
高島さんの絵画に人は描かれていない。殺風景と言えなくもない何気ない風景、静物に、郷愁と憧憬を見て、それが結晶化しているように眼前に引き寄せた感じである。
そこには、どこか憂愁を帯びた佇まい、時間の堆積、古いものが持ついとおしさ、失われたものへの感覚があって、逆説的に《今》の尊さを味わわせてくれる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)