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美術家の田部光子さんが死去 91歳 九州派の主力メンバー

 報道によると、美術家の田部光子さんが2024年3月6日、急性呼吸不全で死去した。91歳。

 1933年、日本統治下の台湾生まれ。1946年福岡に引き揚げた後、独学で絵画に取り組み、1950~60年代、福岡を拠点に活動した前衛美術集団「九州派」の主力メンバーとして活動した。

 同時代の社会の動きに敏感に反応し制作した「プラカード」や、妊娠からの女性解放をうたったオブジェ「人工胎盤」シリーズなどの先駆的なフェミニズム・アートで再評価された。

 2022年には福岡市美術館で回顧展を開催。九州派時代からの活動が作品と資料で紹介された。座右の銘は「希望を捨てるわけにはいかない」。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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