報道によると、美術家の田部光子さんが2024年3月6日、急性呼吸不全で死去した。91歳。
1933年、日本統治下の台湾生まれ。1946年福岡に引き揚げた後、独学で絵画に取り組み、1950~60年代、福岡を拠点に活動した前衛美術集団「九州派」の主力メンバーとして活動した。
同時代の社会の動きに敏感に反応し制作した「プラカード」や、妊娠からの女性解放をうたったオブジェ「人工胎盤」シリーズなどの先駆的なフェミニズム・アートで再評価された。
2022年には福岡市美術館で回顧展を開催。九州派時代からの活動が作品と資料で紹介された。座右の銘は「希望を捨てるわけにはいかない」。