ふたりの鈴木が表現する「彫る」と「掘る」の世界
愛知県豊川市桜ヶ丘ミュージアムで2022年7月23日〜8月11日、企画展「鈴木 と 鈴木 ほる と ほる」が開かれている。
愛知県豊橋市出身の鈴木淳夫さんと、愛知県鳳来町(現・新城市)出身の鈴木孝幸さんという2人の鈴木さんによる現代美術展である。
桜ヶ丘ミュージアムは、豊川市や周辺の三河出身の現代アーティストの展覧会を継続的に開いている。2021年は村田千秋さん、2020年は長井朋子さんが取り上げられた。
今回も、十分なスペースを使った展示で、とても見応えがある。
鈴木淳夫
鈴木淳夫さんは1977年、愛知県豊橋市生まれ。2001年、静岡大学大学院教育学研究科修了。
AIN SOPH DISPATCH(名古屋)、ギャラリーサンセリテ(愛知県豊橋市)など、各所で個展を開いている。AIN SOPH DISPATCH(名古屋)での2019年の個展、2020年の個展のレビューも参照。
淳夫さんは、木製パネルなどにアクリル絵具のレイヤーを積層させ、彫刻刀で彫って絵画を成立させる「彫る絵画(Carved Painting)」を展開している。
「彫る / 絵画」というタイトルから分かるように、彫刻と絵画の両方を見据えた問題意識が作品に通底している。
発想の原点、作業をシンプルにしながら、展開の仕方を広げていくスタンスである。ブレずに、それを修行僧のように徹底して愚直に続けることを選択しているように思える。
そこにラジカルなものが立ち現れる。絵画の本質を、支持体に絵具のレイヤーがのっているイリュージョンだとすれば、淳夫さんは、その重層構造を彫ることで、レイヤーを物質的に顕在化させるのである。
絵画の表面を彫って二次元性を超えて奥行きを広げながら、行為の痕跡を明示化した作品では、何よりも物質性が強調される。
さらにユニークなのは、積層するレイヤー構造を露出させながら、削り落ちた絵具屑のほうも「彫刻」として作品化していることである。
絵具を重ねたレイヤーを削り取り、削られた面と、削り落ちた絵具屑の双方を作品として両立させる淳夫さんの方法論は、実に多彩である。
紐状に削り取った絵具屑をのれんのように垂らした作品があるかと思えば、オブジェ風に加工して台座に置いた作品もある。
別の「絵画」として絵具屑のドットをパネルにオールオーバーに貼っていった作品、床に絵具屑を散りばめたものもあって、バラエティーに富んでいる。
レイヤーをなす色彩は変化に富み、ニュアンス豊かである。淳夫さんは、一貫して、幾重にも塗られた表面を彫る行為がうみだす視覚的、感覚的な作用に注目している。
かつて同一の絵具の層として存在しながら切り離された物質が、相互に関係しながら、絵画と彫刻、あるいは空間への展開として豊かなバリエーションを見せている。
それは、絵画としての視覚性や空間性、美術の形式への問いかけ、美術史への参照をはらんでいる。
鈴木孝幸
鈴木孝幸さんは1982年、愛知県蓬莱町(現・新城市)生まれ。2007年、筑波大学芸術研究科修士課程総合造形分野修了。
名古屋のGallery HAMでの個展を中心に作品を発表している。
2021年のGallery HAMでの個展、2022年のGallery HAMでの個展、2021年の名古屋市美術館での「現代美術のポジション 2021-2022」の各レビューも参照。
孝幸さんは、地元の新城市をはじめとする山や川、海岸などの自然を訪れ、現地での交感、ランドスケープ、身体性、採取物を展示空間で再構成していくアーティストである。
ときに、大量の土や石、樹木など自然の採集物、鉄などの工業素材を展示空間に運び込んだ作品は、非常にダイナミックである。
物質の移動、集積、配置、構築などの行為が、作品の一部を構成するが、とりわけ自然からの採取物は重要である。
今回は、自然から土や水、物質の破片などを採取する行為を、淳夫さんの「彫る」と対比して「掘る」と言っている。
自然から抽出された構成要素が、インスタレーション、映像、立体、平面などの形式に置き換えられることで、視覚性を超えた想像力を喚起する力を放つ。
普段、見ることがない自然からの抽出物を再構成しながら視覚化、空間化した展示は、自然の力そのものを発現したように雄々しい。そのため、フィジカルなものとして鑑賞者に働きかけ、想像力を力強く駆動させるのだ。
鑑賞者は、孝幸さんが自然の中で実践した身体の運動、体験した感覚、あるいは、その場のランドスケープ、地勢への想像力を、その場所からの採集物や、映像、作家のコンセプチュアルな問いかけによって、受け止めることになる。
今回は、土や陶器片、宇連ダム、佐久間ダム、設楽ダム付近でとった水や下流での採取物、河原で集めた鉄片など、さまざまなものが作品の一部として構成されている。
作品の説明が少なく、分かりにくいが、もともと、孝幸さんの作品は、コンセプチュアルな部分が強く、言葉で平易に説明しにくいところがある。
まずは、採取物を見て、感じることが大切である。例えば、ダム下流で拾われたものだけでも、実に多様であることが分かる。
そこから想像力を働かせることによって、人間のスケールをはるかに超えた自然、地勢的な構造と、人間の日常生活、人間がつくりだした概念や、感覚、意識、身体性との関係が浮かび上がってくるのではないだろうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)