YEBISU ART LABO(名古屋) 2022年8月6日〜9月25日
鈴木薫
鈴木薫さんは1968年、愛知県豊橋市生まれ。筆者が勤める新聞社の東京本社に勤務しながら本格的にアートに参入した異色である。
京都造形芸術大(現・京都芸術大)の通信教育部を卒業後、ゲンロン カオス* ラウンジ 新芸術校に第1期生として参加。「あいちトリエンナーレ2019」で話題を呼んだアーティスト、弓指寛治さんとは同期である。
YEBISU ART LABOでは、2018年に、墓じまいをテーマにした個展を開催。
2019年の個展では、東日本大震災による原発事故の汚染水の問題を起点に水について思考を深めた(会場は、あいちトリエンナーレ2019開催に合わせ、YEBISU ART LABOの隣に設けられた実験的スペース《ART MEDIUM》)。
今回は、これを含め、YEBISU ART LABOでの3年ぶり3回目の個展となる。
前回のジャーナリスティックな視点をもつ作品と比べると、言語表現をテーマに据え、私的で内省的、そして哲学的な問いかけをもつ作品である。
0人称
取り上げたモチーフは、八木喜平(1910〜1979年)という無名の「アララギ」歌人である。
渥美半島の福江町(現在の田原市)で機織りをしながら、短歌をつくったが、世に知られることはなく、生前、歌集を出すこともなかった人物である(没後、関係者によって私家版歌集が作られている)。
「アララギ」を通じて知り合った作家、杉浦明平(1913〜2001年)との交流が創作の支えだったとのことである。
実は、この歌人は、鈴木さんのパートナーの祖父である。鈴木さんとパートナーは2022年6月、東京に小さな出版社「ナナルイ」を共同で設立した。
鈴木さんらは、2022年9月に八木喜平の歌集「タテイトヨコイト—明平さんとアララギと」を出版する。
八木喜平は、機織り工として働きながら、「アララギ」に投稿した。結婚後は、機織り工房を開業。8人の子供を育て、戦後は手芸用品販売業を営みながら、貧しい中で日常の生活の断片を詠んだ。
鈴木さんは、直接知らない八木喜平の短歌100首ほどを声に出して詠んでいく中で、瞬間、詠んでいる「私」が、この歌人の「私」に触れる感覚をもったと述べている。そのことが今回の作品のきっかけになっている。
つまり、ここには存在論、言い換えると、「私」とはなにか、「死」とはなにか、「世界」とは何かという問いかけがある。
日々のささやかな日常を詠んだ八木喜平という「私」は、亡くなった後も、その人を感じる誰か、想起する誰か、つまり、ここでは鈴木薫によって存在する「私」になっている。
鈴木さんの作品は、この「私」をめぐる問いがいくつかのパーツによって構成されたインスタレーションである。
会場に展示されたのは、八木喜平の短歌を詠む鈴木さんの口元の動画の上を短歌の字幕が流れていく映像、短歌を詠む音声を響かせる2つのスピーカーがその振動によって水の揺らぎを壁に投影する装置、そして、顔のない八木喜平と鈴木薫の人物画である。
スピーカーの音声は、鈴木さんの声と、AIで生成させた鈴木さんの分身の声がいずれも八木喜平の短歌を詠んでいる。
つまり、この空間では、戦前戦後の激動期を生き、渥美半島の片田舎で人知れず日常を詠んだ八木喜平という「私」と、現代の鈴木薫という「私」、さらには、そのAIによる分身である「私」が、ギャラリーの小空間で揺らぎながら重なり、共鳴している。
短歌の音声は、リアルな生活感、哀切さがあふれると同時に機械的で、刹那の響きとして消えていく。八木喜平と鈴木薫の人物画は、触覚的なマチエールを感じさせるとともに、顔がなく、実在感を失いかけている。
そこには、「私」の確かな存在の手触りと同時に儚さが現れている。「私」(1人称)という自己の存在への問いである。
その揺らぎは、「0人称」という個展タイトルに見事に現れている。筆者は、「0人称」を「私」の揺らぎと捉えている。
そして、そのことが、芸術が個別の揺らぐ「私」としてしか感受できないという芸術論にもなっているようにも思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)