新・聖なるファティア「神秘の子羊の礼拝」(部分)
鷲見麿個展 新・聖なるファティア 京都・KUNST ARTS
岐阜県出身、三重県四日市市在住の画家、鷲見麿さんの最後の個展が、京都のKUNST ARTSで、2020年8月21〜30日、開かれた。
その後、開催された2021年の名古屋市美術館の展示については、《鷲見麿「新・聖なるファティア『神秘の子羊の礼拝』」名古屋市美術館で11月14日まで特別出品)》を参照。
名古屋の画廊「白土舎」での個展以来、およそ10年ぶりのまとまった作品発表になった。今後、美術館や画廊などで収蔵作品、コレクター作品などによって、まとまった展示が企画されるかもしれないが、新作を作家の意思で発表することはないとのことである。
鷲見麿さんは1954年、岐阜県洞戸村生まれ。ギャルリーユマニテ、白土舎などで作品を発表。名画と美女をモチーフとする独自の作風で知られ、「写し」という概念で、名画や美女をグリッド状に分解して写しながら、絵の具の物質性も意識させた絵画など、実験的な作品を展開した。
とりわけ、実在する特定の女性を偏愛し、執拗に描き続けると同時に、社会的な活動にも参加。絵画(私的制作)と社会参加(公的制作)との関係を常に意識していた。
「典子」や「青紀」「ファティア」など女性を偏愛する絵画シリーズのほか、子育ての様子を絵日記にした「スミマロの育児絵日記」などの作品がある。筆者が1990年代半ばから2010年ごろまで最も取材してきた作家の1人である。
ここ10年ほどは音信不通だったにせよ、15年ほどの付き合いはあった。そのあたりのことは、別の記事「画家・鷲見麿さんについて」に書いている。
鷲見麿さんがユーニークな画家であることは、間違いない。名古屋の画廊・白土舎の土崎正彦さんとともに、鷲見麿さんを世に出すべく、筆者は、美術記者をしていた新聞に書きまくっていた時期もある。その頃も、一部の美術関係者は鷲見麿さんのことを高く評価していたが、爆発的な評価には至らず、地域の特異な画家という位置付けだった。
土崎さんや筆者はそれを変え、鷲見さんを「最終兵器」として有名にすることを人生の楽しみとして共有していた。しかし、それが叶わない事態となった。
その後、白土舎の閉廊に伴い、所蔵の鷲見麿さんの作品50点が名古屋市美術館に寄贈され、2015年10月3日〜12月20日に同館で、その30点ほどを紹介する常設企画展 「白土舎コレクションによる鷲見麿展~第一級恋愛罪~」が開かれた。
ただ、筆者は、鷲見麿さんの作品、超絶技巧、その存在の「信者」ではなかった。単純に「すごい」ではなく、鷲見麿さんの分からなさを解明しようとした。技術や大胆さ、繊細さはもちろん、思想というのか背後の考え、正義感、反骨精神、過激性、子供じみたところなどを含めて、それらをいかに客観的に記述するか、分析するかを考えた。
それが十分にできていないないことはわかっている。今でも、鷲見さんがよく口にした「私と公」「世界は模様」「写し」「日常」「めだかの学校」などの言葉と、鷲見さんの謎めいた、パラノイア的な作品群を、どう現代の世界、社会、美術史へと接続するかは、筆者にとって興味深い課題となっている。
昔、ある名の知られた美術評論家の人が、「社会正義を訴えたいなら、美術でなく、市民活動をすればいい」という主旨のことを筆者に言ったことがあるが、鷲見さんの作品には、美術と社会正義(世界の見方、社会意識)の両方があるように思える。
社会や世界と全く関係なく、芸術としては行儀良くもない作品なのだが、社会や世界、芸術に対する鷲見さんの問題意識、正義のようなものが感じられるのである。
今回の個展に合わせてまとめられたカタログの岡本光博さんの文章「『戦友』として」によると、「新・聖なるファティア」の連作は、15世紀の北欧の画家、ファン・エイク兄弟の作品の超絶的な「写し」と、三重県四日市市の「フリースペースめだかの学校」時代から協働しているリツコさんの描いた部分、付箋かカラーチャートのような箇所、立体の頭像、モザイク、ガラス片などから構成されている。作品の中には、ドイツ人女性ファティアさんの肖像もあるという。
作品は、ぜひ細部を見てほしいと思う。「画家・鷲見麿さんについて」も参照してほしい。それから可能なら、カタログにある鷲見さんの文章「スミマロの最後の絵」も読んでほしい。これまで聞いた内容もあるが、改めて気になる部分もあった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)