イメージ写真は、杉本美術館のWEBサイトより
報道によると、名古屋市出身の洋画家、杉本健吉さん(1905〜2004年)の作品を展示する「杉本美術館」(愛知県美浜町)を2021年10月31日で閉館すると、運営母体の名古屋鉄道が7月26日に発表した。
杉本美術館のWEBサイトも、「令和3年10月31日(日)をもって閉館いたします」とホームページに掲示した。
9月13日まで開催中の企画展「芸~舞・奏~」の会期終了後の9月16日から、杉本美術館最後の企画展を10月31日まで開く予定である。
入館者減が大きな理由である。各紙によると、開館した1987年度は9万人が来場。これまでに、のべ121万人が訪れたが、コロナ禍以前から、集客の低迷で採算が厳しくなっていた。
新型コロナウイルスの影響が顕著となった2020年度は来場者が4000人まで落ち込んだ。
中日新聞などによると、コロナ禍で鉄道や観光事業も厳しい中、名鉄としては、地域貢献や文化支援としては、一定の役割を果たしたと判断した。
作品を管理する公益財団法人が、杉本さんの絵画7000点や、筆、陶芸などの愛蔵品2000点を所有している。
財団は存続させ、作品や施設については今後、対応を検討するという。
今回の閉館には、美術の嗜好の変化や流行、文化・芸術や趣味の多様化、美術のグローバル化と海外からの新しいアートの紹介など、さまざまな要因が関係している。
西洋から文化制度としての美術館を移入した日本では、もともと欧米先進国のような西洋美術の豊富な収蔵品があるわけでなく、鑑賞者も、展覧会を文化イベントとみる傾向が強い。
また、美術家に対する評価や流行、人々の好みは移ろいやすく、時代や世代の変化とともに、どんどん変わっていく。
加えて、1990年代以降、日本を含め、アジア太平洋地域で、やはり欧米のモデルを後追いするように、イベント性が強いビエンナーレやトリエンナーレなどの国際展が興隆。それぞれに独自の設立背景をもつ、近現代作家の個人美術館を長く維持するのは、容易なことではなくなっている。
杉本美術館のWEBサイトによると、1987(昭和62)年3月、中日新聞本社主催の「杉本健吉披露展」が名古屋・名鉄百貨店で開かれ、4月、名古屋鉄道によって「杉本美術館」が知多美浜緑苑内に開館した。
1994(平成6)年、名鉄創業100年記念事業として杉本美術館新館開館。「画業70年の歩み 杉本健吉展」が愛知県美術館で開催された。
杉本さんは1923年に旧制愛知県立工業学校を卒業。1925年に京都に出向き、岸田劉生の門下に入った。東大寺観音院上司海雲師の知遇を受け、観音院の古土蔵をアトリエにしてもらい、奈良の風物を多く描いた。吉川英治作の『新・平家物語』などの挿絵を担当し、評価を高めた。2004(平成16)年、肺炎のため逝去。