ガレリア フィナルテ(名古屋) 2020年10月27日~11月21日
五月女哲平さんは1980年、栃木県生まれ。東京造形大の絵画科を卒業している。フォーマリズム寄りの立ち位置ながら、イメージや歴史、社会的要素も取り入れ、形や色彩に対する感覚など自分らしいセンスとともに柔らかに絵画のあり方を模索する若手アーティストとして注目されている。
さまざまな問題意識から作品を展開。物質としての絵画、変形の支持体、積層する絵具などのレイヤー、絵画的な立体など、1カ所にとどまることなく挑戦している。
今回の個展では、いくつもの層を積み重ね、絵画作品としてのあり方を追究した作品が多い。重ねられる層は、絵具、写真、アクリル板、ガラス、シルクスクリーンなど多様である。
3つの平面が壁に等間隔で並んだ作品「Our time #3」がある。表面的には、黒地に楕円形、お椀形や矩形などの白い形象が微妙なバランスで組み合わさったように見える。
筆触は抑えられ、画面はフラットである。3枚組みのおのおのは、離れているが、間隔を空けて白いイメージの高さが揃っていることから、ひと繋がりの平面であるようにも見える。空隙によって、作品が現実の空間とつながっていることが伝わる。
白い抽象的な形象は、以前手掛けた人物シリーズから来ているものらしいが、形といい、バランスといい、絶妙である。
より重要なのは、これらの下層にさまざまな色彩が塗り重ねられている点である。こうした作品では、5、6層、場合によっては10層以上塗られることもあるという。
エッジの部分を見ると、複数の色彩が下層に塗られていることは容易に確認できるが、正対したときは、見えない。これらの色彩は、塗られているのに「浮かばれる」ことがなく、ある意味、無彩色の「犠牲」になっている。
つまり、これら無彩色の下に、見えない有彩色があるのだが、その下層の色彩が塗り重ねられることで表面のニュアンスに影響を与えているわけではない。
有彩色の層は、あくまで作業的に重ねられている。そして、絵具が重ねられ、絵画性は保ちつつも、塗りは絵画的ではなく、むしろ作品は物質的でさえある。筆者には、絵画と物質が静かに拮抗していると思えた。
床に、3つの円形が並んで立て掛けられた作品がある。白い2つの円は接し、少し離れて黒い円がある。
これらも、最終的には、白一色、あるいは黒一色だが、その下には、有彩色が積層されている。やはり、下層の色が表面に浮かび上がることはない。
表面はとてもフラットで、絵画性、視覚性は減じられ、むしろ、物質的であり、コンセプチュアルである。
平滑な円形の板が際立たせるのは、むしろ、溝や傷、凹み、汚れなどによって時間の堆積を感じさせる背景の白い壁かもしれない。
シンプルながら、とても美しい3つの円形。来年12月にスペースを移す予定のガレリアフィナルテの空間へのオマージュともいえる展示である。
立体もある。台座に載っていて彫刻のようであるが、正対して見ると、正面性、平面性が強く意識される。
白一色で塗られ、正面から見ると、背景の壁に溶け込む。上部に半円の合板が重ねられているため、その輪郭が強調され、空間に残りの透明の半円が意識される。上から見ると、合板の重なり、絵具の層も見える、絵画的立体ともいうべき作品である。
これらの作品では、いずれも表面は無彩色ながら、絵具が塗られ、絵画作品の体を成している。有彩色の積層が下にあるが、表面に影響を与えない。表面がペインタリーでないだけに合板の物質性も強調されるのである。
五月女さんは、小山市立車屋美術館(栃木県)での個展「猫と土星」を準備中の2011年3月、東日本大震災に遭遇した。
作品制作の中で、パネルがバタバタと倒れて、絵画が合板として、物質性をあらわにしたことが、五月女さんに大きな影響を与えた。
このときから、絵画を巡る新たな逡巡、洞察が始まった。 東日本大震災後の絵画が模索され、 より物質性が作品に反映されることになったのである。
つまり、それまで使われた明るい色彩が後退し、有彩色は無彩色の奥に積層されるようになった。
そうした背景を知る意味でも、今回展示された2014年制作のシェイプド・キャンバスの作品「Neither a symbol,nor a stone #1」は重要である。
絵画がよりマテリアルを意識したものになり、矩形の合板の端を切り落とすことで、シェイプを切り出した。
キャンバス布が裏返して張られ、薄い絵具を染色のように染み込ませるように何度も塗り重ねつつ、その積層の上の表面には、黒とグレーの無彩色が覆う。
不意に襲った震災という大惨事によって、絵画の物質化に直面せざるをえなかった背景が生み出した作品である。
「2018.2.2#2」は、フレームを除くと、カラー写真、透明アクリル板(緑色、無色)、ガラス、ガラスに刷られたシルクスクリーンの黒い円形、白い正方形という積層によって制作されている。
この作品では、絵具以外のメディウムを積層させることで、絵画を成り立たせようとしている。
写真は、栃木、群馬、埼玉、茨城の4県にまたがる渡良瀬遊水地で撮られた、雪がまだらに積もった地面である。五月女さんの故郷である栃木県の実家から車で15分ほどの場所にある。
1890年代から田中正造が問題提起した足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿させ、無害化することを目的とした日本最大の遊水地。 ラムサール条約の登録湿地にもなっている。
鉱毒汚染、遊水地のための強制廃村のほか、東日本大震災の影響による放射性物質汚染の問題もあった。
五月女さんは、多様な層を重ねることで、社会と絵画を接続できないかと考えた。絵画を成り立たせるメディウムの積層と、渡良瀬遊水地に関わる重層的な時間の流れが重なるように制作されたのである。
2月に降ったまだら雪のカラー写真、透明アクリル板、ガラス、その表面にシルクスクリーンによって転写された黒い円と白の矩形。メディウムの積層する「絵画」に、歴史の中で埋もれかねない物語のレイヤーが挟まれた。
それは、フォーマリズムが排除してきた物語をもう一度、具象絵画とは別の方法で絵画構造にしのばせる試みでもある。
渡良瀬遊水地については、もう1つ、2点セットの作品「燃え湿るかたち」がある。遊水地のモノクロ写真、アクリル板、アクリル絵具で描いた矩形の層がある。絵具の層には筆触が見える。
絵具を重ねるという絵画制作の本質とのアナロジーにおいて、さまざまなマテリアルとともに、社会的、歴史的時間、あるいは、ガラス映った鑑賞者自身や画廊空間という今が重ねられる。
物質的なメディウムの積層によって「絵画」を追究し、歴史的時間と今を積層の中に滑り込ませている。
できるだけ視覚情報を減ずることで、少ない情報からどれほど豊かなもの、歴史や社会、見えない現実を引き寄せられるか。
具象的なイメージや、鮮やかな色彩、絵画空間としての絵具の重なり、筆触、コラージュなど、表現性によってでなく、 メディウムの積層によって 、歴史的事件とその後の時間を構造化する絵画である。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)