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没後20年 作家主義 相米慎二 名古屋シネマテークで11月20-26日

アジアが見た、その映像世界

 「没後20年 作家主義 相米慎二 アジアが見た、その映像世界」が2021年11月20〜26日、名古屋・今池の名古屋シネマテークで開催される。

 2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが発生。その2日前、9月9日、映画監督・相米慎二が逝った。あれから20年──。

 世界的な評価は遅れていると言われていたが、2012年にナント映画祭(フランス)、エディンバラ映画祭(英国)、パリシネマテーク(フランス)、2015年にフランクフルト映画祭(ドイツ)と、次々、レトロスペクティブが催された。

 

 2005年、韓国の全州(チョンジュ)映画祭で行われた回顧上映で衝撃が走った。そして、2021年、アジアでの再評価の波が来る。

 韓国映画「はちどり」は、本国はもちろん日本でも異例のヒットを記録。数年前には、台湾のエドワード・ヤン「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」のリバイバルが大成功を収めた。

 デジタルの時代、コロナ禍の時代、新たな映画の方法が求められている。アジア映画がもつ、荒々しさ、凶暴性。

 それを考えたとき、作家・相米慎二という名前が浮かぶ。アジアの作家や俳優、評論家がいま、相米慎二を改めて発見しようとしている。今回の特集上映は作家・相米慎二をアジアと結ぶ端緒となる試み—。

 いま、日本に相米慎二のような作家は存在しているのだろうか。その、荒々しさ。その、深さ。その、美しさ。その、真実。

 1980年代を生きた獰猛さ。アイドル映画という枠組みを超え、その過剰なまでの演出を突き詰めた。90年代を生きた繊細さ。ミュージカル的な世界観の導入。自己の集大成と、新たなる変化への挑戦。そして、2001年(21世紀)に結果として残した、たった一本の別れの挨拶。

 2021年2月に行われた渋谷・ユーロスペースでの上映はコロナ禍にもかかわらず、たいへんな動員を記録した。

 過去の相米レトロスペクティブと異なるのは、若い観客が多かったこと、女性観客が多かったことだ。

 好評を受け、7月には横浜シネマリンでも開催。相米慎二の命日である9月9日以降、「没後20年 作家主義 相米慎二」は全国へと展開していく。

上映作品

①台風クラブ(1985年)

©︎ ディレクターズカンパニー

製作:ディレクターズ・カンパニー 配給:東宝、ATG
脚本:加藤祐司
撮影:伊藤昭裕
照明:島田忠昭
出演:三上祐一、紅林茂、松永敏行、工藤夕貴、大西結花、金沢朋子、三浦友和
(1985年8月31日公開/115分)

 東京国際映画祭・ヤングシネマグランプリ作品。審査委員長、ベルナルド・ベルトリッチが絶賛。台風の日の校舎に閉じ込められた少年と少女。三浦友和が当時のイメージを大きく変えた作品としても印象的。

②風花(2001年)

製作:ビーワイルド、テレビ朝日、TOKYO FM
配給:シネカノン
原作:鳴海章
脚本:森らいみ
撮影:町田博
照明:木村太朗
出演:小泉今日子、浅野忠信、尾美としのり、鶴見辰吾、柄本明、笑福亭鶴瓶
(2001年1月27日公開/116分)

 鳴海章の同名小説を映画化。若手官僚とピンサロ嬢の出逢い。女の故郷、北海道へとふたりは旅へ出る。本作公開後の9月9日、相米が死去。遺作となった。企画の発案は、相米本人からのものだったという。

③ションベン・ライダー(1983年)

©︎ 1983 kittyfilm

製作:キティ・フィルム 配給:東宝
原案:レナード・シュレイダー
脚本:西岡琢也、チエコ・シュレイダー
撮影:田村正毅、伊藤昭裕
照明:熊谷秀夫
出演:藤竜也、河合美智子、永瀬正敏、鈴木吉和、坂上忍
(1983年2月11日公開/118分)

 レナード・シュレイダーの原案を脚本化。目の前で誘拐されたガキ大将を追う三人組。「セーラー服」の興行的成功からより過剰な方向へ舵を切った。途中で衣装まで入れ変えてしまう三人組。壮絶な貯木場のシーンはあまりにも有名。

スケジュール

11/20(土)11/21(日)11/22(月)11/23(火)11/24(水)11/25(木)11/26(金)
12:05
14:25

①台風クラブ②風花③ションベン・ライダー

入場料

 当日券のみ1作品 一般1500円、大学生1300円、シニア1100円、夫婦割引・レディースデイ1人1100円

相米慎二

 1948年1月13日、岩手県盛岡市生まれ。父親の転勤で6歳のときに北海道標茶町に転居。1958年に父親を失う。

 その後、小学校5年のときに札幌市、中学3年のときに釧路市に移る。北海道釧路江南高校を卒業し、中央大学文学部に進学。1972年に中退した。

 長谷川和彦の口利きで契約助監督として日活撮影所に入所。長谷川や曽根中生、寺山修司の元で主にロマンポルノの助監督を務めた。助監督時代には杉田二郎のペンネームも用いている。1976年にフリーランスとなる。

 1980年、薬師丸ひろ子主演の「翔んだカップル」で映画監督としてデビューした。翌1981年、「セーラー服と機関銃」で興行的な成功を収めた。

 1982年6月、長谷川和彦、根岸吉太郎、黒沢清ら若手監督9人による企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」(ディレカン)を設立。

 1983年には吉村昭原作の「魚影の群れ」を発表。1985年の「台風クラブ」は第1回東京国際映画祭(ヤングシネマ)でグランプリを受賞し、キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編(1999年版)の55位にランクインしている。

 同年、斉藤由貴の映画デビュー作となった「雪の断章―情熱―」を監督した。また、同年のロマンポルノ作品「ラブホテル」は大きな反響を呼んだ。

 その後、1993年の「お引越し」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。同作は第46回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品された。

 翌1994年には湯本香樹実原作の「夏の庭 The Friends」を発表。湯本に原作小説を執筆するように勧めたのも相米監督であった。

 1998年の「あ、春」は1999年度キネマ旬報ベストテンの第1位に選出されたほか、第49回ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。

 2001年、小泉今日子主演の「風花」を発表。

 一方で、1985年より数々のCMの演出を手がけ、また1991年と1993年には三枝成彰作曲のオペラ「千の記憶の物語」の演出を担当している。

 2001年10月に舞台初演出となる「Defiled」の上演、翌2002年に自身初の時代劇での監督作品となる浅田次郎原作の「壬生義士伝」の映画化作品のクランクインを予定していたが、2001年6月、体調不良のため病院で検査を受け、肺癌を告知された。

 同年8月中旬より療養生活を送り、同年9月5日に容体が急変。9月9日16時10分に神奈川県伊勢原市の病院で死去した。53歳没。

 同年1月公開の「風花」が遺作となった。葬儀は9月14日に築地本願寺で営まれた。

 没後は青森県三戸郡田子町相米地区にある先祖代々の墓に埋葬され、同地区には「相米慎二慰霊碑」が建立された。2014年から、田子町の主催により「相米慎二監督映画祭り」が開催されている。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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