曽我蕭白 奇想ここに極まれり
名古屋・栄の愛知県美術館で2021年10月8日〜11月21日、「曽我蕭白 奇想ここに極まれり」が開かれる。
曾我蕭白(1730〜81年)は江戸時代中期、京都で活躍した奇想の絵師。
京都の商家に生まれたと伝えられ、伊勢地方に滞在したこともわかっている。
隣の三重県内にまとまった数の作品が残され、三重県立美術館では、1987年「開館5周年記念 曾我蕭白展」、1998年「江戸の鬼才 曾我蕭白展」など、度々、蕭白展を開催。常設展示でも紹介している。
力強い筆墨と極彩色で超現実的な世界を描き出した曽我蕭白のあくの強い画面は、グロテスクでありながらおかしみもたたえ、見る人を引きつける。
本展では、強烈な印象を与える蕭白の醜怪な表現を紹介すると共に、原点となった桃山時代の絵画や、江戸時代初期の絵画との関係を掘り下げる。
蕭白がいかにして型を破り、奇矯な画風を打ち立てたのかを明らかにし、併せて、晩年の作品への変化を通して画業の到達点も見定める充実した展観である。
開催概要
【会期】2021年10月8日(金)〜11月21日(日)
※会期中、一部展示替えがある
前期:10 月8 日(金)から10 月31 日(日)まで
中期:11 月2 日(火)から11 月16 日(火)まで
後期:11 月17 日(水)から11 月21 日(日)まで
【会場】 愛知県美術館[愛知芸術文化センター10 階]
【開館時間】 午前10 時〜午後6 時/金曜日は午後8 時まで
入館は閉館の30 分前まで
【休館日】 毎週月曜日
【観覧料】
[平日限定券]
一般:1,400(1,300)円 / 高校・大学生:1,100(1,000)円 /
中学生以下:無料
[土日祝日券]
一般:1,600(1,500)円 / 高校・大学生:1,300(1,200)円 /
中学生以下:無料
※( )内は前売券及び20名以上の団体料金
※上記料金で同時開催のコレクション展も観覧できる
※「身体障害者手帳」「精神障害者保健福祉手帳」「療育手帳」のいずれかのある人、その手帳に「第1種」または「1級」と記載のある人に付き添う人は1名まで各料金が半額になる。
展示内容
プロローグ 奇想の絵師、蕭白
1970年に辻惟雄『奇想の系譜』が刊行されてから、蕭白は伊藤若冲とともに「奇想」の画家として、広く世間に認知されるようになった。
本展では、蕭白の画業を初期から順に、晩年まで通して紹介。「奇想」だけではない蕭白画の面白さを見つけることができる。まずは、プロローグとして、現代における蕭白のイメージがどのようなものか、名品とともに振り返る。
第一章 水墨の技巧と遊戯
宝暦8(1758)~13(1763)年頃 29-34歳 第一次伊勢~播州高砂滞在期
過去帳により享保15(1730)年に京の商家に生まれたことがわかる蕭白だが、絵を描き始めた時期や動機、師などは明らかでなく、現在知られる画業は突然伊勢から始まる。蕭白が29 歳のときに揮毫した襖絵が津の西来寺にあったという伝承が、最も早い彼の事跡である。
初期に位置づけられるこの伊勢での活動で、蕭白は既に独自の個性が現れた作品を多く描いている。その後、播州にも足を伸ばし、絵馬を手がけるなど幅広く活動していた。
本章では、蕭白の画業初期の作品を取り上げ、水墨を自由闊達に用い、豪放でありながら精緻さも備えた蕭白の“技”と、樹木の描写や面貌表現に見える奇怪さ、伝統的な画題の奇抜な描出に現れた蕭白の“戯れ”を見ることができる。
そして、その特徴的な表現の源泉がどこにあるのか、土台としての室町・桃山時代の絵画や、江戸時代初期の絵画からの摂取を探る。
第二章 ほとばしる個性、多様化する表現
明和元(1764)~3(1766)年頃 35-37歳頃 第二次伊勢滞在期
諸国を遊歴した蕭白は、とりわけ伊勢において精力的に活動し、現在でも多くの作品が伝わっている。
斎宮の旧家に伝来した「旧永島家襖絵群」は、蕭白の二度目の伊勢滞在期に当たる傑作。繊細な筆致で描かれた奇怪な面貌と、衣紋表現に粗放でありながら巧みな筆遣いを見せる人物画、画面を飛び出すかのような大樹や、荒れ狂う波濤と共に羽の細部まで描き込まれる花鳥画、筆を用いずに指で軽快に描いた牧牛図な
ど、多様な表現が一つの作品群として残っているのはとても貴重である。
この時期の蕭白は、水墨画だけでなく、強烈な極彩色の着色画も制作。技法、技術の進化と共に、画家として充実した時期であったと言える。
本章では、自らの画風を確立した蕭白の大画面作品を集め、その技法的な多様性と造形・色彩の特質に迫る。
第三章 絵師としての成功、技術への確信
明和4(1767)~8(1771)年頃 38-42歳 第二次播州高砂滞在期
明和4(1767)年、蕭白は播州高砂にいたことが、曽根天満宮に献納された《牽牛図絵馬》に記されていることからわかっている。
二度目の播州滞在は、蕭白の画風が前章で見た「奇想」を連想させるようなものから、精緻な筆致で描く堅実な画風に変化していく過渡期にあたる。また、この地域に蕭白の弟子が多いことから、弟子の育成も始めたことが推察される。
本章では、蕭白の確かな技術に基づいてつくられた奇怪な作風が、その技術的円熟を契機に落ち着きを見せ、まとまり始める過程を紹介する。
第四章 晩年、再び京へ
安永元(1772)~天明元(1781) 43-52 歳
播州に滞在した後、蕭白は京へ帰る。晩年の蕭白は、それまでの醜怪な表現で見る者を驚愕させるような作品から、謹直な画風の作品を制作するように変化する。
山水画においては独自の硬質な表現が生み出されるものの、《雲龍図》(個人蔵)のような最晩年の大画面作品は盛期の奇怪さから遠ざかるように落ち着きを見せる。
本章では、晩年に至った蕭白の狂気が収束していく過程に焦点をあて、蕭白最後の画業の到達点をあらためて評価する。