gallery N(名古屋) 2020年9月26〜10月11日
島本了多 gallery N 「第二次工芸」
島本さんは1986年、東京生まれ。多摩美術大学工芸学科を卒業した。岡本太郎現代芸術賞展で入選を重ね、その後、各地でグループ展に出品。gallery Nでの個展は2014年から開いている。現在は、「第二次工芸」というコンセプトで作品を発表する。
「第二次工芸」とは、工芸をさらに加工するという意味合いらしい。今回、初めて見た島本さんの作品は、既製の工業製品である陶器、あるいは、自分で制作した焼き物を使って、コンセプチュアルな価値転換を企むなど、遊び心たっぷりのものだった。ユーモラスで、キッチュ、冷笑的でもある。
ナンセンスな中にも、現代の消費社会や生活習慣、芸術的価値、生理など、私たちを取り巻く状況への気づきや視点を与えてくれる趣向がある。
ギャラリーの棚に並んでいるのは、マグカップ、あるいは食器皿などである。
白くシンプルな小さめの皿、カップは、DAISO、IKEAなどのロゴが付いているが、実は西洋白磁の頂点とされるドイツのマイセンの製品だという。
100均や廉価量販店のロゴを付け、本来のブランドをずらしたとき、何が生じるか。そんな作品である。マイセンの食器なら数万円でもお金を払う。DAISO、IKEAのロゴが付いたら、価値は(アートとして)上がるのか、下がるのか。
私たちは、ブランドにお金を払っていて、原価に見合ったお金を払うわけでなない。人間の欲望、社会の目がここにある。買い物をするとき、物そのものの価値を見ず、値段やブランドに振り回されるのである。
ダイソー(DAISO)で買ったありきたりのマグカップに書かれた英文を訳し、訳文をメッセージのように転写した作品は笑える。
100円のマグカップのデザインなど、普段、気に留めることもない。だが、そこには、格言めいたことが書かれているのだ。「未来は明日ではなく今日から始まる」「自分を信じて」「幸せなの?」・・・。
そうした言葉は、100円のマグカップとは、あまりに不釣り合いだ。
言葉が軽くなった時代のあかしでもある。人生に関わる大仰なメッセージと100円の価値とのアンバランス、落ち着かなさを冷笑的にとらえた作品と言ってもいい。
DAISO、IKEAのマグカップに、陰毛で作ったという筆で「ダイソー」「ニトリ」と書いた作品も。
これらの食器は、1万円均一の「萬均ショップ」という体裁で展示されている。100円という廉価な商品や、 数万円するブランド品にさまざまなやり方で手を加え、全てを同じ価格のアート作品として売る。
本来の原価から価値が上がるのは、アートのアートたるゆえんだが、マイセンの皿みたいに、高価な実用品がアートになって値段が下がるのが面白い。
100円のマグカップを揶揄して、価値を上げてアートとして提示する、あるいは、マイセンの食器の価値を下げてアートにする。価値とは何か、それを認知する私たちの心の揺れ、それ自体が作品ともいえる。
レディメイドを使って、ブランドや、アートの価値、その転倒を問いかける試みともいえる。
遺跡から出土する土器、数百年の時代を超えて伝わる陶磁器の耐久性に注目し、はかなく消えていくものを焼き物でかたどったユニークな作品がある。
その1つは、靴で踏んだ自分のうんこを焼き物で再現した作品。色を含めてリアルである。靴底の滑り止め模様が付いていて、踏んだ状態を含めて、臭いたつほどに生々しい。
うんこは、普通はトイレで流され、それで終わり。形が残ることはない。それを陶器にして、長い時間の中で残そうというユーモラスな作品である。
なくなってしまうもの、捨てられるもの、消滅するものをモチーフにした焼き物作品は、他にもある。
松屋の牛丼など、大衆的な店で出される料理の写真を転写し、陶板絵にしたのも、同じ狙い。
もしも、この作品が、はるか未来、土中から発掘されたとしたら、数百年前、数千年前の日本人が何を食べていたのか、分かるのではないかと。
それは、私たちが古代遺跡の出土品から、当時の人たちが何を食べていたのか、どんな生活を送っていたのかを探るのと同じ。未来の視点で、私たちを眺めた作品だともいえる。
「テレビデオ」をモチーフにした陶板絵もあった。テレビデオは、1990年代を中心に一時、爆発的に普及したブラウン管型テレビとVHS方式ビデオを組み合わせた家電製品である。
今の若い人たちなら、テレビデオのことを知らない人が大半だろう。
当時としては、最新の家電製品でも、現在のITから見ると、 その格好といい、機能といい、 アナクロニズムを感じさせる。たかが30年ほど前のことなのに、である。
人間生活や科学技術は、冷静な距離を持って見てみると、変化が早くて、無常感を漂わせるものだと改めて思う。
他に、窯変天目茶碗や、エミール・ガレの花瓶の模様を転写したキッチュな作品もある。
これらは、手ごろな料理やテレビデオなどと比べると、高い価値のある美術品の表面を廉価な器に転写している。
あるいは、日本の漫画の美少女の顔や、アメコミ「ウォッチメン」の登場人物の顔を転写した作品も。
最高級品から、ブランド品、家電、100均の商品、サブカルチャー、排泄物まで、さまざまなヒエラルキーの物を、焼き物にしている。
覆われたイメージの奥にあるのは、すべて土である。人間の作るものとは、何なのだろう。あふれる物と、その価値、変化。面白くも、どこか居心地の悪さを感じさせる。それが作家の狙いともいえる。