ガレリア・フィナルテ(名古屋) 2023年6月13日〜7月8日
関口敦仁
関口敦仁さんは1980年代から、絵画によるインスタレーションで注目され、その後、メディア系のアーティストとして活躍。岐阜県大垣市のIAMAS(情報科学芸術大学院大学)で教授、学長を務めた。
2013年に愛知県立芸術大学に移ってからは、メディア映像専攻の教授として後進の指導にあたり、2023年3月に退任している。
2019年のフィナルテでの「関口敦仁展-Redden Inner Sight 赤い内観-」では、「内観」をテーマにした立体と絵画が展示された。内観は、仏教、心理学で自分の心の内側を見ることである。
このときは、石英ガラスで作った仏像彫刻や、鎌倉朱と内観を題材に制作された赤色の絵画「赤で円を描く」が展示された。仏像といい、画面を埋め尽くす赤い円相の絵画といい、展示は仏教を意識させるものがあった。
また、2022年に開かれた愛知県立芸術大学サテライトギャラリー SA・KURAでの退任記念展「関口敦仁展 仮想内観 君は自身の内観を獲得したか?」では、内観体験の場としての仮想的な空間を新作のVR(仮想現実)として見せた。
2つのVR作品は、いずれもHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着して鑑賞する。
この人間の内面を仮想した空間では、ハンモックチェアに座った鑑賞者が空間に浮遊したような状態となり、VR空間に現れては消える言葉や文字を単なる意味ではなく、むしろ空間を流動するイメージとして知覚しながら、「内観」の契機を体験させた。
筆者は、流動する言葉や文字は、意味や解釈の世界から離れた「空」の世界の言葉そのもの文字そのものとして、より 人間のより深い部分に作用するように感じられた。
実装化されないプラーナ
今回の個展タイトルにある「プラーナ」とは、サンスクリットで、呼吸、息吹、さらには、生命力、気、エネルギーを意味する。
SA・KURAでの展示とつながりがある、仮想内観に関連する立体も出品されているが、基本的には絵画の展覧会である。
油彩に蜜蝋を混ぜて描いた固着性のある画面は、しっかりとした筆触が丁寧に重ねられ、空間の奥にイメージが見えるものもある。紺色で塗られた作品は夜の風景を表し、その一方で、昼の風景を示唆する茶系の色彩の作品もある。
また、「プラーナ ランドスケープ」と題された水彩の作品には、大小サイズの異なる円形が縦、あるいは横に連なった形象が描かれているが、この形象は油彩の画面にも確認できる。
この連なる円形が、プラーナだろうというのが筆者の推測である。
「赤い内観」の絵画でも円形は現れたが、そのときの円形が即興的で比較的ランダムに画面を覆っていたのに比べると、今回の円形は抑制され、静かな印象で、一列にきれいに並んでいる。
神秘的な世界であると同時に、見えない力としての「プラーナ」が形象として描かれているこれらの作品から、筆者は勝手な連想ながら、シュタイナーの黒板絵のようなものを想起した。
宇宙のプラーナを取り込み、世界と一体化するというのは、ヨガなどでいわれるようであるが、この展覧会のタイトルは「実装化されないプラーナ」である。
これは、つまり、体に入ることなく、絵画の画面として対象化された形象としてのプラーナということではないか。
そう考えると、とても不思議な絵ということになる。揺らぐような絵画空間に見える、この未知の形象(プラーナ)は、鑑賞者によって、どう知覚されるのか。
この謎めいた作品に対峙し、静寂なるプラーナとじっと向き合う。感じ方は、人によってさまざまだろうが、筆者は、この宇宙に遍在するプラーナを、自分に矢印を向けることを促すアイコンのように感じた。
普段、気づかない宇宙の広がりとプラーナを感じ、それによって、自分の身体と内面をも意識すること。自分が世界であり、世界が自分であるというような、自他不二を思うこと。そんな作品として見ることもできるのでないか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)