清野祥一
ウエストベスギャラリーコヅカ(名古屋) 2022年7月5〜23日
清野祥一さんは1948年、北海道生まれ。愛知県長久手市在住。ギャラリーでの個展を継続して開いているほか、1995年の第一回光州ビエンナーレ(韓国)などにも出品したベテランである。
陶芸と現代美術にまたがる作品を展開してきた。
物質を焼くというシンプルな方法によって、その存在と変容、循環と時間について深い洞察を与える作品である。
清野さんは、地殻で数千万年、数億年という長時間の化学変化が起こる岩石の変成作用にも似た、燃やすというプロセスを人為的に進めることで物質を変容させる。
言い換えると、物質を焼成するという行為はするが、それ以外に、恣意的に人間が力を加えて形を作ることはせず、火の力のみで表現する。
できる限り素材に手を加えず、そのまま提示するという、主客を超えたこうした考えは、1960年代末から70年代にかけての「もの派」と、「もの派」以後の時代には、影響をもった。
1988年以降、清野さんが主要な素材にしてきたのは、1983年に出合ったグラファイト(工業用カーボン)である。
グラファイトは、ダイヤモンドと同様、炭素だけでできた元素鉱物である。
一般に炭素を含んだ物質は有機物といわれる。グラファイトは化合物でないことから、分類上は無機物だが、高温で燃やすと、空気中の酸素と結合して二酸化炭素として気化する。
2022年 個展 ウエストベスギャラリーコヅカ
ウエストベスギャラリーコヅカ(名古屋) 2022年7月5〜23日
清野さんは1969年、人間工学によるデザインを学ぼうと、東京藝術大学に入学した。その後、やきものに方向転換。大学には2、3年、籍を置いたものの、中退している。
やきものに向かった理由について、清野さんは、本阿弥光悦に関心をもったことを挙げる。
併せて、当時、舞踏の関係者に接点をもち、日本土着の文化への意識が高まったこと、学生運動の雰囲気も影響したようである。
大学生だった1970年ころ、愛知県瀬戸市に来て、陶芸を学んだ。同じころ、全国のやきもの産地を巡るなどし、1970年代前半までは、神奈川県愛川町で友人らと共同生活を営みながら、黒陶茶碗などを作っていた。
1976年、結婚を機に愛知県長久手町(現・長久手市)に転居。1977年、東京のサトウ画廊で開いた初個展には、黒陶の陶板作品を出品した。すでに器物から離れ、ファインアートを志向していたことがうかがえる。
81、82年に東京の村松画廊、82年には、名古屋のウエストベスギャラリーコヅカでも個展を開いている。土から金属、あるいは樹脂、グラファイトへと素材を変え、それぞれを対比させながら物質を焼く仕事を展開していった。
今回の作品は、細いグラファイトをステンレススチールの斜面にあるガラスの留め具に掛け、縦に並べたインスタレーションである。
焼成前は、それぞれが均一な三角柱で、敷き詰めるように置かれたが、焼くことで周辺部分が気化し、空隙だらけの痩せこけた形になっている。
今回の作品を見て想起したのは、2021年の個展でも書いた「存在の影」という言葉である。
清野さんは、目に見えるソリッドな物質、形態より、それが焼尽した後の痕跡のようなあり方にシンパシーをもっている。
グラファイトを素材とした清野さんの作品は、燃え滓のように崩れかけたアンフォルムなもので、垂直に屹立させることができず、通常、床や低い台に置かれる。
その点、今回は、斜めにしながらも、ステンレススチールの比較的高い台に置かれているのが、今までにない特徴になっている。
清野さんの作品は、もともとは幾何学的な形態をしていても、焼け焦げ、激しく劣化している。そこに、フォルムよりアンフォルム、高級より低級、垂直より水平、物体より影、強い固体より燃え滓と気化した煙への共感がみてとれる。
この、燃えて気化した周縁から、物質や世界の中核のほうをながめるという清野さんの視座は、揺らぐことがない。それは、筆者の立ち位置とも重なる。
清野さんが魅了されるのは、この周縁の見えないもの。例えて言えば、ダークマター、ダークエネルギーである。
宇宙の中で、私たちが知っている物質は全体のわずかで、多くは未知の物質であるダークマター、未知のエネルギーであるダークエネルギーであると考えられている。
清野さんの作品と重なるのは、この部分である。つまり、見えないもの、周縁から世界を見ているのが、清野さんの作品ともいえるのである。
2021年 個展 ウエストベスギャラリーコヅカ
ウエストベスギャラリーコヅカ(名古屋) 2021年1月19日〜2月6日
今回は、そんなグラファイトを焼成し、4つ並べたインスタレーションを見せている。それぞれは、もともとは同じ形態のグラファイトの塊であるが、焼き方を変えているのがミソ。
一番奥のグラファイトは、800度で1回焼いた。一部は固体から気体へと昇華しているものの、まだ固体の元の形がしっかり残っていて、色も黒が濃い。
次は、1150〜1200度で1回焼いたもの。角がとれて、まろやかな丸みを帯びた形になっている。
3つ目は、同じ1150〜1200度で2回焼いたもの。さらに気化した部分が増え、空隙が増えて原形をとどめなくなっている。
いちばん手前は、 同じく3回焼いたもの。かなりの部分が気体になったので、グラファイトが痩せ細り、すかすかな感じがある。
より高温で長く焼いたほうが、固体が気化し、物質的な存在が希薄になっているのだ。燃えて、鉱物が気体になって空気中に放散されたのである。
遺物として残ったグラファイトを、清野さんは「存在の影」と呼んだ。存在していた物質が、燃えて空気中に放たれたことで見えなくなっていく、その痕跡である。
この「存在の影」によって、物質の変容、つまりは、かつて存在した鉱物の気配と、気体の昇華を視覚化したのが清野さんの作品だといえる。
清野さんは、焼成によって、物質の変容するさまを見せるとともに、グラファイトという元素鉱物が地殻深くにあったときの太古の時間、そして、大気に放出された気体という未来への時間と、そうした変化に伴う炭素の循環と永遠不滅を意識させる。
「存在の影」としてのグラファイトは、物質の「死」を象徴するとともに、その生成変容、永遠の循環する時間、すなわち「不生不死」をも暗示するのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)