Gallery HAM(名古屋) 2022年9月10日〜10月22日
作間敏宏
作間敏宏さんは1957年、宮城県生まれ。1982年、東京藝術大学大学院修士課程修了。2012年から、名古屋市立大学芸術工学部の教授を務めている。
これまで東京など他地域での発表が多く、名古屋では初めての個展が2021年、Gallery HAMで実現した。
作間さんは、1990年代以降、「治癒」「colony」「接着/交換」という3つのシリーズを展開している。
共通するのは、発生生物学者の岡田節人さん(1927-2017年)の言葉から示唆を受けたテーマ、すなわち、生き延び、つながる生命と、そこから発展させた人間や社会への洞察である。
生命が生き延びるためには、生命と生命の接着と交換(新陳代謝)が欠かせない。つまり、命あるものは単独では生きていけない。それは人間の社会も同じである。
作間さんの作品は、部分がつながりをもつように群生し、集まりとして生の営為を感じさせる。それは、同時に人間社会のアナロジーになっている。
2021年のGallery HAMでの個展は「colony」をテーマとしたが、今回は、4つの作品すべてが「治癒」の新作である。
治癒 HEALING
メインとなる作品は、鉛で作られた長大なハウス型のインスタレーションである。中には、おびただしい数の電球がある。その1つ1つは、生命の隠喩と見てとれる。
いささか図式的だが、作品は人間の社会そのものと考えることもできる。作間さんは、さまざまな素材でハウス型の作品を作ってきたが、鉛素材の「家」は今回が初めてである。
鉛は放射線を遮蔽し、自然環境の中で安定している一方で、人体に蓄積すると有害性があるなど、両義的な性質がある。
作間さんが「治癒」のテーマで、ハウス型の作品を制作したのは1995年が最初である。その2年前の1993年には、「治癒」シリーズの1作目として、作間さん自身の家系図を電球に置き換えたインスタレーションを発表している。
1995年は、長さ5メートルを超える長大なビニールハウスを3つ並べ、それぞれ内部に敷いた藁の上に500個もの電球を散らばらせた。
ハウスに守られることで、生命体が病気や傷から回復し、生き延びることを含意していたが、当時は、表層的な癒やしと受けとられることが多く、作間さんは、いったん、このシリーズの制作を中断している。
転機となったのは2011年の東日本大震災である。
作間さんの故郷は、「仙台いちご」で知られる宮城県亘理町。津波で、イチゴ農家の栽培施設がことごとく破壊された凄惨な風景を目にし、「ビニールハウス」が新たな意味を帯びるようになったのである。
外の環境から内部を守り育てるハウスという装置が、外と内を完全に分け隔てるものでなければ、万能、堅固な防護壁でもないことを、作間さんは痛感した。
脆弱さを見せつけた残骸は、回復しえない痕跡を表象していた。
作間さんにとって、命を守り育む「ビニールハウス」は、閉じた空間をつくる壁ではなく、繊細な皮膚のメタファーとなったのである。
震災後、無数の穴を空けた豚の生皮を縫い合わせ、新たな「治癒」のシリーズが始まった。ビニールやガーゼなども素材に使った。
多くの場合、作品の表面に穴が開けられ、内と外が完全に分けられるのではなく、むしろ、内と外が通じ合う状況が示された。
豚皮を使った作品では、水に浸してゼラチン状にした素材を、鋼材のパイプを組んだ構造に張って、高さ2メートル、奥行き4メートル、幅1.3メートルのサイズで作品化した。
皮膚のメタファーである素材は、内と外を仕切りながら、完全に分断することはなく、さまざまな生命活動を暗示した。
空気が出入りし、それによって、内と外がつながっている。
外からの有害作用のバリアでありながら、単に内部を覆うものではなく、内と外を結ぶネットワークのための境界になっている。
緩やかな境界をつくってくれるが、繊細、フラジャイルな領域。その中にいれば安全というわけではない。永遠性はなく、変化し続ける。
生命を育む作間さんの「ハウス」は、人間の集まり、すなわち社会のメタファーにもなっている。社会も、宇宙全体も、1つの「生命」である。
ほかにも、蜜蝋を染み込ませた画仙紙を素材に、ビニールハウスが増殖するイメージを造形化した平面作品や、豚の生皮を使った作品が展示されている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)