YEBISU ART LABO(名古屋) 2022年2月4日〜3月6日
三枝由季 SAEGUSA YUKI
三枝由季さんは1987年、長野県生まれ。2010年、名古屋芸術大学美術学部絵画科洋画コース卒業。愛知県を拠点に制作している。
エビスアートラボでの個展は、2017年、2013年、2012年にも開いている。
ギャラリーによると、一段の進境が見てとれるようで、筆者も興味深く作品を見た。
細密な線で原野や森、湿原のような世界が描かれ、通常、そこに小さく動物のキャラクターが添えられている。
支持体は、キャンバスのほか、段ボールもよく使うようである。今回、サイズ的に一番大きい横長の作品も段ボールに描いている。
ほかに、紙、トイレットペーパーもあった。アクリル、油彩を中心に、ペン、テンペラなどの技法を加えている。
作家本人のステートメントによると、「物語」を軸に制作しているとのことだが、この「物語」という言い方は作家による特殊な言い回しである。
つまり、何かの物語的なイメージが最初にあって、それを描いているわけではない。
むしろ、1つの形象の生成が別のイメージを生み、やがて絵画空間へと展開していくさまを物語のように捉えている。
筆者なりに解釈すると、目標のイメージに向かって、ルートに沿って描くのではなく、あたかも、あるイメージが別のイメージを呼び込むようにクリエーションしていき、気づくと、虚構の風景にたどり着いていた、という想像力の連鎖のことを「物語」と言っている。
だから、記憶の中の風景の断片が取り入れられていても、全体では、utopos=no place なのである。
2022年 どこにも無い場所 utopos
使用済みと思われる段ボールを支持体に使った作品を見ると、表面の紙が剥がされた痕跡をそのままイメージに取り込んでいることが分かる。
あるいは、下地を塗った画面に見てとれる形やシミのようなものを、描き始める端緒にすることもあるらしい。
このあたりは、シュルレアリスム的な発想だともいえる。
同系色の沈んだ色彩の中に緻密な線で描かれた異世界。そこに、分かりやすい物語的な要素や寓意があるわけではない。
むしろ、繊細に描出された荒地、原野、川や森、山、奇岩、奇怪な植物などの妄想的な描写が魅力的。それらが組み合わされ、ある世界観が生まれている。
細部を見ると、物語的な要素がなくはない。容易に判別しにくい謎めいたものが描かれ、全体が神秘的で、どこか不気味な空間になっている。
現実の記憶の風景を基にしているようでありながら、それらが創造され、合成されていくプロセスで、非現実的で異様な雰囲気をたたえた空間に変化している。
ちなみに、インターネット上のインタビューで、三枝さんは、好きな画家にブリューゲル、ヒエロニムス・ボス、ディルク・ボウツを挙げていた。
そして、小さく描かれた動物のキャラクターに注目すると、その世界が一気にナラティブなものに見えてくる。
例えば、ワゴンに荷物を載せ、原野を旅するネズミのようなキャラクターがいたりする。
こうしたナラティブな要素やキャラクターには、大学で指導を受けた吉本作次さんや、親交があるという今村哲さんの影響もありそうである。
まさに「どこにも無い場所」であるが、過去作品を含め、作品や個展のタイトルにある「utopos」「エデン」「世界樹」「ナラゴニア」などの言葉からも察せられるように、三枝さんの作品には、神話的、象徴的な雰囲気もある。
これらには、ヒエロニムス・ボス《愚者の船》など、美術史からの参照もあると思われる。
そのイメージは、見る者の記憶や時代感覚、空想の世界とも触れ合う。筆者は、現代の不確実な世界に広がる不安のようなものを感じた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)