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小林亮介展 ガレリアフィナルテ(名古屋)で2023年1月10日-2月4日

ガレリア フィナルテ(名古屋) 2023年1月10日〜2月4日

小林亮介

 小林亮介さんは1955年、神戸市生まれ。東京芸術大学大学院博士課程油画専攻単位取得後退学。デュッセルドルフ・クンストアカデミー留学。

 3次元の空間情報を2次元像上に保存できるホログラフィーの作品を制作していた時期もあった。

 その後、デジタル画像を加工する作品でも、現実世界の3次元性と2次元性との関係を探究しているが、3次元の世界を2次元平面に変換する不可能性そのものを主題とする点において、絵画的な要素を含むようになった。

 今回展示したのは、大判の写真作品である。屋外に三脚でカメラを据え、平行、上下に少しずつ動かしながら望遠レンズで撮影。その数百枚もの画像を合成し、インクジェットプリントで出力している。

 そのため、画面の全ての箇所でピントが合い、細部まで高い解像度で撮影されているうえに、1つのイメージが膨大な画像の合成加工によって成り立っている。

 今回は、過去に発表した作品のデータで改めて出力し、構成した展示である。

 ガレリアフィナルテ(名古屋)での吉岡俊直さんとの2人展「ヒズミのキワ」(2020年)も参照

ガレリアフィナルテ 個展 2023年

 展示された作品1つは、東京のお台場を撮影した眺望が利く風景写真である。

 一見、何げない風景ながら、固定カメラを細かく移動させて撮った数百枚の写真を合成している。そこには、空間と平面、世界と「私」、機械であるカメラ(光学装置)と人間の視覚との間に関わる大きな問題圏が横たわっている。

小林亮介

 人間の目が両目で空間性、時間性、主観性としての視覚で捉えるのに対し、カメラは単眼レンズで光学的、 平面的にしか写し取れないからだ。

 デジタルカメラで撮影した写真は、数十、数百分の1秒という瞬間、1視点から撮影され、人間の網膜、アナログカメラのフィルムの役割を果たす半導体撮像素子(イメージセンサー)で電気信号に変換される。

 固定したカメラを水平、垂直に少しずつずらしながら撮影したデータを合成した小林さんの作品は、「視線」の移動によるおびただしい画像をつぎはぎにしたモザイクであって、一視点からのパースペクティブによる平面映像ではない。

 もともとは、超高精細の画像にしようと、カメラを移動させて撮った画像の集積を始めた。そのため、解像度が高く、全体が均質で多中心的である。

 上や下にいくほど横方向に拡大されるように歪み、空間が間延びしていて、小さな画像をつなげる過程で加工修正がされている。つまり、おのおのの画像をあたかも絵画のタッチのように集め、持続する時間を内包したイメージをつくっている。

小林亮介

 大学のデッサン室を撮影した作品でも数百の画像が組み合わされている。縦長の写真で、石膏像が収まる戸棚のグリッド構造が全て垂直、水平に交わるように合成され、天井近くのパイプも水平になるように加工されている。

 周辺の空間は歪み、つまりは二次元平面の虚構によって、パイプが水平であり、戸棚の縦横が垂直、水平であるという事実が成り立っている。ここに現実の三次元と虚構の二次元の関係の面白さがある。

 これは、ほぼ現実を正確に表している地球儀と、それを平面地図にするときのさまざまな図法との関係に似ている。

 小林さんは、画家が絵筆で絵画を描くように、絵具の筆触を小さなデジタル画像に変えて、それを張り合わせることで、3次元空間を2次元平面として作っている。

 

小林亮介

 今回は、ほかにニューヨークのマンハッタン島、愛知県小牧市の常懐荘を撮影した作品もある。

 常懐荘のガラス戸を撮影した作品では、数百枚の画像を合成しているにもかかわらず、まるで1つの視点からの透視図法的なイメージへと加工されている。

 つまり、リアルっぽさが偽装されている半面、均質な解像度の高さによって、かえって違和感のある、全体の空間性を把握しづらいイメージになっている。

 小林さんの作品を見て思うのは、3次元空間と平面写真との関係に、絵画のアナロジーを見ることができる点だ。言い換えると、作品が内包する現実の世界とそれを見るときのリアリティーと平面性の関係というテーマである。

 例えば、デッサン室の戸棚は、現実空間を撮影したイメージもかかわらず、あえて垂直性、水平性を強調することで、アバンギャルド絵画のさまざまな画家に採用されたグリッド構造を想起させ、近代絵画の幾何学性や抽象性、平面性を意識させる。

 また、上と下が間延びし、建物が平面的に左右に連なるマンハッタン島やお台場のパノラミックな作品でも、ガラス戸を撮影した1点透視的な虚構のイメージでも、現実空間やそれを見るときのリアリティーと、平面性、絵画性との関係を想起させる。

 細かなデジタル画像の集積によって、現実の3D空間を2Dの平面図に再構成することで、写真を「絵画」のように成立させるこうした作品では、1つ1つの小さな画像が、絵画を構成するシームレスな筆触のようになっているという言い方もできるかもしれない。

 それは、現実空間と平面絵画、具象と抽象、視覚的なリアルさと虚構、視点と世界、つまりは自分と世界の関係についての問いかけを含んでいる。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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