GALERIE hu:(名古屋) 2020年9月5〜19日
河合里奈さんは、2018年に名古屋芸術大を卒業したばかりの若手。2019年に、あいちトリエンナーレ2019に合わせて開かれた「情の深みと浅さ」展などグループ展に出品してきた。今回が初個展である。2022年の個展は、こちらを参照。
非常に熱量を帯びた作品である。また、作家本人も、エネルギーがありあまっているように見えるほど、元気である。
内なる力、エネルギーをぶつけた雰囲気がある一方で、比較的繊細にコントロールされているところもある。荒削りながら、全体を作品として見せるセンスがあると言っていいだろう。
画面は、一種の混沌であり、闇があり、光がある。その上で、物質感を押し出し、見る者を高揚させるエネルギーとともに、不穏さ、まがまがしい表情も備えている。
一般的に言えば、「熱い抽象」というべき作品に系譜にある。まだ、整理されていない部分もあって、熱き前衛時代を彷彿させもする。
アンフォルメル絵画のほか、ポロックなどのアクション・ペインティングも連想させ、とりわけ、身体性を強く感じさせる存在感は圧倒的である。
筆につけた液状の顔料を飛散させて描いたと思われる部分、筆から絵の具を滴らせて繊細な線を引いたドリッピング/ポーリング。絵の具をチューブからそのままに出して盛り上げた箇所、砂を使って荒れた質感を出した場所など、絵の具の粘性を強調した物質性も際立つ。
ロバート・ラウシェンバーグが、1950年代半ば以降、平面に日用品、廃品などを貼り付けたコンバインの技法も、河合さんは、自身でくり抜いた木片や、針金を貼り付けるなどして、自分なりに応用している。
加えて、自由な色彩、スプレーやペンによる落書き風の表現から、グラフィティも想起させるものもある。
支持体も、多彩である。ほとんどは、自分でつくったいう木製パネルや、キャンバス。他に、モノタイプに使うアルミニウム板に描いた作品もある。
また、素材も、油絵の具のみならず、油性ペンキ、水性ペンキ、墨、海砂、特定用途の工業用塗料など、多種多彩である。
過去のさまざまな美術家、美術史の制作技法が雑多に取り込まれている。そして、そこには情熱、エネルギー、感情がほとばしったような表現性が顕著に現れているのだ。
あふれんばかりのエネルギーを定着させるには、支持体や素材を強くしなければならない。木製パネルは、かなり厚みのあるものもある。
小柄な河合さんからは想像できないほど、作品は強い。強さを志向しているというより、画面が描く身体の体の中の強さ、熱情を受け止め止める作業台になっているのが、河合さんの作品である。
とは言え、河合さんは、多分、それらを過去のアーティストを意識的に引用しているわけではない。さまざまな要素、技法、物質性、イリュージョンが、半ば無意識にコンバインされた絵画、そして、彫刻的な物質性も備えた作品と言えばいいであろうか。現代の空気を吸った若者の衝動的な表現がそこにはある。
最も注目すべきは、河合さんが全ての作品において、支持体を床に水平に置いて描いていることである。ポロックや、白髪一雄などが想起される。
河合さんの制作もまた、アクション性、身体性が顕著である。ダンス経験のある河合さんが、床置きした支持体の周囲を踊るように動きながら描く場面が目に浮かぶようである。
ポロックなどと同様、水平に置いて描いた絵画を床面から壁面に置き換えて展示するという、フォーマリズム絵画の手続きを、河合さんの作品も踏んでいる。
ただ、例えば、ポロックなどのようなドリッピングによるイリュージョン(奥行き)よりも、河合さんの作品は、木製パネルや、針金、木片、チューブの絵の具など、即物的な感性のほうが強い。
だから、白髪一雄が強さを志向して、床置きのキャンバスに足で描いた絵画の方に近い。河合さんが描く「アクション・ペインティング」は、「軽やかさ」よりは「重さ」の印象がある。
ただ、それも作品によって振幅が大きいのも事実。比較的線的なイメージが強く、イリュージョンが感じられる作品、視覚性が強く奥行きがある作品と、物質性的な作品、不透明で堅固な作品が併存する。
それは、作品ごとの振幅であるのと同時に、1つの作品で両方の性質が併存しているともいえる。
そう考えると、河合さんの作品は、画面を床に水平に置いた作業台のようである。その水平面では、線や色彩、イメージ、奥行き、空間や、絵の具、木片などの物質など、さまざまな要素が雑然と、しかし、全体をコントロールしながら、操作されている。
物質、非物質、透明、不透明、純粋視覚性、非視覚性のいかんを問わず、豊かな身体性とともに熱情的に展開しているステージのようである。
あたかもそうした作業台は、レオ・スタインバーグが、さまざまな要素を受け止める作業面として概念化した「フラットベッド」のようである。その議論は、ロザリンド・クラウスとイヴ=アラン・ボワがバタイユ由来の概念を通じて開いたアンフォルムへと通じる。
モダニズム 絵画の垂直な視覚的スクリーンを壊す水平性、物質の誘惑、乱雑な無秩序性など、戦後の美術が実験してきたさまざまま試みが、河合さんの作品では、水平面へと招かれている。
そこには、現代を生きる河合さんの感性、身体性が強く押し出されている。河合さんはとても若い。今後、何が起きるか、どんな方向へ進むのか、予想できない。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)