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パウル・クレー展―創造をめぐる星座 愛知県美術館で2025年1⽉18⽇-3⽉16⽇に開催

パウル・クレー《北⽅のフローラのハーモニー》1927年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)

クレーを捉え直し、創造の軌跡をたどる

 愛知県美術館で2025年1⽉18⽇〜3⽉16⽇、「パウル・クレー展―創造をめぐる星座」が開催される。

 「この世では、私を理解することなど決してできない。なぜなら私は、死者たちだけでなく、未だ⽣まれざる者たちとも⼀緒に住んでいるのだから」。

パウル・クレー《北⽅のフローラのハーモニー》1927年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)

 パウル・クレーのこの⾔葉は、1920年にクレーの作品を売り出した画廊の販売戦略に⽤いられて、孤独に瞑想する芸術家としての彼のイメージを広めた。

 確かに、クレーの作品は謎めいているかもしれない。しかし、同じ時代を⽣きたほかの多くの前衛芸術家たちと同様、クレーも仲間たちと刺激を与え合い、夢を共有して困難な時代を⽣き抜いたひとりの⼈間だった。

パウル・クレー《⾚、⻩、⻘、⽩、⿊の⻑⽅形によるハーモニー》1923年 パウル・クレー・センター

 クレーは、⼈⽣の根源的な悲劇性と向き合いながら、線と⾊彩によって光を呼び起こし、抽象のなかに⽣命のエネルギーを描き出した。

 その作品は、歴史的な⽂脈のなかに置かれることで、また新たな姿を⾒せるだろう。

 本展では、スイスのパウル・クレー・センターとの学術協⼒のもと、クレーと交流のあった芸術家の作品との⽐較や、当時の貴重な資料の参照を通じて、多くの⼈や情報が構成する「星座=コンステレーション」のなかでクレーを捉え直し、その⽣涯にわたる創造の軌跡をたどる。

パウル・クレー《都市の境界》1926年 宇都宮美術館

見どころ

・愛知会場には約100点の作品、資料が出品される。クレーの出⾝地であるスイスのパウル・クレー・センター、バーゼル美術館のほか、⽇本国内各地の美術館からクレーの作品50点以上が集結する。
・《チュニスの⾚い家と⻩⾊い家》《窓のあるコンポジション》などクレーの代表作のほか、《ハマメットのモティーフについて》《周辺に》などの⽇本初公開となる作品が展⽰される。
・ヴァシリー・カンディンスキーのほか、アウグスト・マッケ、フランツ・マルクなどこれまで⽇本では紹介される機会の少なかった、クレーと交流のあった重要な芸術家の作品が展⽰される。

パウル・クレー《窓のあるコンポジション》1919年 パウル・クレー・センター

開催概要

展覧会名:パウル・クレー展―創造をめぐる星座 Paul Klee, Solitary and Solidary
会  期:2025年1⽉18⽇(⼟)〜3⽉16⽇(⽇)[50⽇間]
開館時間:10:00-18:00 ⾦曜⽇は20:00まで(⼊館は閉館の30分前まで)
休 館 ⽇:毎週⽉曜⽇(ただし2⽉24⽇[⽉・振休]は開館)、2⽉25⽇(⽕)
会  場:愛知県美術館(愛知芸術⽂化センター10階)
〒461-8525 名古屋市東区東桜1-13-2
美術館ウェブサイト https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
主  催:愛知県美術館、中⽇新聞社、東海テレビ放送
協  賛:DNP⼤⽇本印刷、アイシン
後  援:JR東海
学術協⼒:パウル・クレー・センター
特別協⼒:東京国⽴近代美術館

パウル・クレー《殉教者の頭部》1933年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)

チケット

⼀般 1,800(1,600)円、⾼校・⼤学⽣ 1,200(1,000)円、中学⽣以下無料

※( )内は前売券および20 名以上の団体料⾦。
※上記料⾦で同展会期中に限りコレクション展も見ることができる。
※⾝体障害者⼿帳、精神障害者保健福祉⼿帳、療育⼿帳(愛護⼿帳)、特定医療費受給者証(指定難病)のいずれかがある人は各券種の半額で見ることができる。また付き添いの人は各種⼿帳(「第1種」もしくは「1級」)または特定医療費受給者証(指定難病)がある場合、いずれも1 名まで各券種の半額で見ることができる。当⽇、会場で各種⼿帳(ミライロID 可)または特定医療費受給者証(指定難病)を提⽰する。付き添いの⽅は申し出る。
※学⽣・⽣徒は当⽇、会場で学⽣証(⽣徒⼿帳)を提⽰。

平⽇限定券
⼀般シングル券 1,300円、⼀般ペア券 2,400円
当⽇券よりもシングル(1 枚)で500 円、ペア(2 枚)で1,200 円もお得。会期中、平⽇のみ有効、枚数限定。

※平⽇限定券は⼀般のみ。
※ペア券は購⼊時に2 枚発⾏。同⽇、もしくはそれぞれ異なる⽇で観覧できる。
[販売期間] 2024年11⽉1⽇(⾦)から。上限枚数に達し次第、販売終了。
[販売場所] Boo-Woo(ブーウー)チケット、ローソンチケット(Lコード:46491)、チケットぴあ(Pコード:687-102)

クレー展×フォロン展 ダブルチケット
⼀般 3,000円
同展のチケットと、名古屋市美術館「空想旅⾏案内⼈ ジャン=ミッシェル・フォロン」(2025 年1 ⽉11 ⽇[⼟]〜3 ⽉23 ⽇[⽇])のチケットが1 枚ずつセットになったチケット。枚数限定。

※ダブルチケットは⼀般のみ。
※購⼊時に各展覧会のチケットが1 枚ずつ発⾏される。同⽇、もしくはそれぞれ異なる⽇で観覧できる。
[販売期間] 2024年11⽉1⽇(⾦)から。上限に達し次第、販売終了。
[販売場所] Boo-Woo(ブーウー)チケット、ローソンチケット(Lコード:46492)、チケットぴあ(Pコード:687-104)

展示構成

パリの⾊彩とチュニジアの光
 1914年の春、線描を主な表現⼿段としてきたクレーは、友⼈の画家ルイ・モワイエとアウグスト・マッケとともに訪れたチュニジアにおいて、《チュニスの⾚い家と⻩⾊い家》などの⾊彩豊かな作品を描き始める。

パウル・クレー《チュニスの⾚い家と⻩⾊い家》1914年 パウル・クレー・センター

 クレーが滞在中の⽇記に書き残した「⾊彩が私を捉えたのだ」という⾔葉は、この旅⾏が彼にとって重要な転回点となったことを⽰している。

 とはいえ、チュニジアの光だけが画家クレーを⽣み出したわけではない。その少し前から、彼はフランスの同時代の美術への関⼼を強め、特にドローネーの《街の窓》の「バッハのフーガ」を思わせる⾳楽のような抽象性を賞賛していた。

パウル・クレー《ハマメットのモティーフについて》1914年 バーゼル美術館

 チュニジアから戻った直後にクレーが描いた《ハマメットのモティーフについて》は、まさにこのドローネーの作品を想起させる。

ロベール・ドローネー《街の窓》1912年 ⽯橋財団アーティゾン美術館

戦争の破壊と希望
 クレーがチュニジアの旅⾏から戻って間もなく、ヨーロッパは第⼀次世界⼤戦へと突⼊していく。クレーも参加したミュンヘンの国際的な前衛芸術家のグループ「⻘騎⼠」のメンバーの⼀部は、⺟国への帰国を余儀なくされ、ドイツ国籍のマッケとフランツ・マルクは⾃ら従軍して命を落とした。

パウル・クレー《アフロディテの解剖学》1915年 宮城県美術館

 マルクの戦死の知らせを受けた1916年3⽉、クレーも徴兵を受けて従軍。戦争の先に希望を⾒た友⼈たちの死、前線から伝えられる戦争による破壊、そして⾃らの従軍を経て、クレーは戦争に対する態度を複雑に変化させ、それは作品の制作に反映されていった。

パウル・クレー《紫と⻩⾊の運命の響きと⼆つの球》1916年 宮城県美術館

 戦時中に⾏われた⾃作の切断と再構成、暴⼒と恐怖の抽象的な表現、そして《アフロディテの解剖学》や《紫と⻩⾊の運命の響きと⼆つの球》に認められる神話的な世界への接近は、戦争との関連なくして語ることができない。

フランツ・マルク《冬のバイソン(⾚いバイソン)》1913年 バーゼル美術館

シュルレアリスムの先駆者クレー
 アンドレ・ブルトンが1924年の『シュルレアリスム宣⾔』において、クレーをシュルレアリスムの先駆者のひとりとして位置づけたように、第⼀次世界⼤戦後のフランスにおいて、シュルレアリスムの詩⼈や芸術家たちは、彼の作品に着⽬していった。

パウル・クレー《⼩道具の静物》1924年 パウル・クレー・センター

 クレーがシュルレアリストを⾃称し、その活動に積極的に加わることはなかったが、《⼩道具の静物》に描かれた、⼈知れず⽣命を帯び始める舞台倉庫の道具の姿や、《周辺に》に⽰される植物の細部が⾒せる驚異的な姿への関⼼は、シュルレアリストたちとクレーとの接近を物語っている。

パウル・クレー《周辺に》1930年 バーゼル美術館

パウル・クレー《闘っているポップとロック》1930年 パウル・クレー・センター

 また《闘っているポップとロック》は、シュルレアリスムの雑誌『ミノトール』を通じた、クレーによる彼らの作品の受容を⽰唆している。

バウハウスという共同体
 1919年にヴァイマルに設⽴されたバウハウスの初代校⻑ヴァルター・グロピウスは、総合芸術としての建築を⽬指すこの学校に、前衛芸術家たちの参加が不可⽋であると考えた。

パウル・クレー《蛾の踊り》1923年 愛知県美術館

 グロピウスからの招聘を受けて、1921年にクレーは同校の教育を担う中⼼的な存在である「マイスター」に就任する。翌年には、かつて⻘騎⼠の中⼼的存在であったヴァシリー・カンディンスキーも同僚となり、ここで2⼈は再会を果たした。

 同僚たちとの意⾒の相違や度重なる学校の⽅針転換は、バウハウスを議論の絶えない場とした。しかし、単なる学校という存在を超えた共同体としてのバウハウスにおいて、《蛾の踊り》や《⾚、⻩、⻘、⽩、⿊の⻑⽅形によるハーモニー》に⽰されるように、クレーの作品は⾊彩をその駆動⼒としながら、様々な展開を⾒せていった。

ヴァシリー・カンディンスキー《緑に向かって》1928年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)

関連イベント

スライドトーク(学芸員による展⽰説明会)
1⽉25⽇(⼟)11:00〜11:40
2⽉8⽇ (⼟)11:00〜11:40
2⽉21⽇(⾦)18:30〜19:10
3⽉1⽇ (⼟)11:00〜11:40
会場:アートスペースA(愛知芸術⽂化センター12階)
定員:180名
※事前申込不要・聴講無料。

ルイ・モワイエ《アラビアのベリーダンス》1914-15年 ベルン美術館

アウグスト・マッケ《明るい家(第1版)》1914年 ベルン美術館

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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