なうふ現代(岐阜市) 2020年11月21日〜12月20日
小澤さんは、1981年、浜松市生まれ。2004年に名古屋芸術大を卒業した。昨秋の名古屋のL galleryでの個展に続き、岐阜市のなうふ現代で個展が開かれている。
中心となるドローイングと立体のシリーズは、いずれも新しい試みである。
自然に囲まれた生活環境への変化が、作品に影響している。コロナ禍の中、自宅や庭にいる時間が多い状況が加わり、自分の足元を見る機会が増えている。
展覧会タイトルの《far and near》は、そんな心情の現れでもある。近くを見ること、そして、それとは対照的に、遥か遠くの宇宙を見ること。その2つのつながりが作品に通底している。
例えば、庭にいて、花や野菜を育てているとき。そうした生活圏に長くいるからこそ感じること、それが宇宙へのイマジネーションへとつながるような瞬間がある。
小澤さんは、日々の暮らしの中で見出したもの、生活の中にある素材、日常の小さな発見から創作のヒントをすくいあげる。
これまで、平面、立体、インスターレーションなどを、人から譲り受けたもの、拾ったもの、ごみともいえるもの、生活の中にあるものなど、取るに足らない素材で制作してきたが、今回は、その延長でありながらも、少し趣きが異なる。
素材そのもの、見逃してしまうほどの小さな植物や生き物、捨てられるようなものを大切にしているのはこれまでと同じだが、全般に、素材の使い方が控えめで、穏やか。
表現が直接的でなく、白や柔らかな中間色の色彩が包む優しい感覚の展示空間である。
ドローイングは、石粉粘土を水で薄く溶いて、ヨーグルト状にしたものにアクリル絵具を混ぜて描いている。
《far away》(遠く)という言葉と、使った2、3色の色名がそれぞれのタイトルになっている。
それを綿布を貼った木製パネルに載せ、左官こてを使って伸ばすという、シンプルな制作である。
小さいサイズの作品は、3×5個がグリッド状にして展示され、それより大きいサイズの2点は、左右に並べてある。
いずれも、墨流しのような流動的な絵具の動きがそのままに定着され、カオスを生んでいる。
2、3色の絵具を流しながら、左官こてで、マーブル模様をつくる。所々は、石粉粘土の粒子が固まった玉が残っている。
こてでは、ヨーグルト状の絵具をコントロールしながら、同時に流れに任せる。そんな感じである。
小さな石粉粘土の粒子が漂流し、宇宙のようなカオスを生む。流れを制御しながら、身を任せる感覚も、「近くと遠く」と言えるかもしれない。
時間をかけると、うまくいかない。短距離走のように、息を止めて一気に描く。こてを動かしすぎると、絵具が均質化して、単色に混ざって、流れるようなマーブル模様にならない。
ウコンの地下茎を粉末にしたターメリックで描いた作品もさりげなく掲げてあった。
黄色がとても美しく、画面に緩やかな流れが感じられる。
石粉粘土の小さな塊が、カオスの中から生まれた初源的なものの生成にも感じられる。
立体の連作《far and near》は、小さな粒々が増殖していったような不定形の形態。発泡スチロールを手でちぎったものを素材にしている。
この粒々にした発泡スチロールも、発想は、身近なもの、すなわち、今年、庭で咲いたバラの葉を食べ尽くす小さな虫から来ている。
自分の体と比べればはるかに大きなものを小さな粒に食いちぎって食べ尽くす虫のように、発泡スチロールを小さな粒にしていく。今度は、そのこぼれ落ちるほどの粒々を柔らかく包むように、不定形の形を創造する。
テープの粘着面で発泡スチロールの粒々を撫でるように絡め取り、そこにヨーグルト状の粘土を垂らして立体にする。
ぼろぼろと粒が落ちる発泡スチロールが崩れながら造形化されていく瞬間の連鎖。それに応える手の動きから、形が決まってくるのである。
これらは、床に横たわった作品のほか、天井から吊るされた作品もあった。
こうして見ると、この立体も、マーブル模様のドローイングも、流れるもの(落ちていくもの)を半ば受け入れながら、半ば、自分の意識を向けて、イメージや形をつくっていることが分かる。
そして、意識の上で、小さなもの、近くのものを感じながら、大きなもの、遠くにあるものを想っている。
つまり、これまで、どちらかというと、素材をそのまま提示していた小澤さんが、自分の中の抽象的なイメージと向き合い、それを介して、近くから遠くへ意識が向かったのである。
コロナの影響も大きいだろう。家や庭にいる時間が長くなる中で、身近なもの、内なるものへの意識がこれまで以上に高まった。
そこから、世界や宇宙、外へ、外へと想う意識が、制作のベクトルの向きを変えた。
展覧会タイトル《far and near》の《near》は、今、自分がいる場所である。家と庭、暮らし、土や虫、植物、そして自分の内側。《far》は、空、世界、宇宙・・・。
長時間、自宅にいる生活の中で、逆説的だが、意識が遠く離れた場所、世界、空、宇宙に向かうようになったのかもしれない。
日常と、遥か遠い世界が、自分の意識の中で同時に存在し、行き来し合う。
庭の土を固めただけの、とても素朴な作品が2つ並んでいる。タイトルは《near here》。
土をふるいにかけ、粒子を細かくした後、粘土とともにを混ぜて、コーティングした。
小澤さんの作品は、「今ここ」「近く」にある人、存在するもののかけがえのなさを改めて、教えてくれる。
だが、同時に、人間の意識は、身体という容器に縛られず、どこへでも飛翔できる。自分の生活圏と宇宙はつながっているという感覚が、ここにある。