N-MARK B1(名古屋) 2023年10月14〜29日
大嶽涼太
大嶽涼太さんは1999年、岐阜県生まれ。2022年、名古屋芸術大学美術学部卒業。現在は、岐阜県各務原市を拠点に制作している。
筆者は、N-markのアーティストリサーチプログラムである2022年の「BLACK TICKET」のグループ展で、大嶽さんの作品を見た。今回はそのとき出品された作品の1つ、「Butterflies」のシリーズに絞った展示である。
この作品は、実際の千円紙幣を支持体に色鉛筆で描いて、蝶または蛾の形にカットした作品である。紙幣は、色彩の塗膜を支えるものであるのと同時に、それ自体がオブジェクトでもあるので、支持体というより、お金を作品にしたと言った方がいいかもしれない。
2023年 Butterflies
大嶽さんは、1つの作品で、本物の千円札10枚を使っている。つまり、1つの作品で、1万円の価値はあるということである。
もちろん、紙幣は大きくカットされ、色も塗られているので、実際には使えないだろうし、作品の価値は、原材料費の総和ではないが、素材にお金が使ってあると、そんなことも考えてしまうことが、既に作者の術中にハマっているとも言える。
お金は、社会の制度を形作っている根幹の1つである。価値の尺度であると同時に、財やサービスと交換ができるものであり、また、その価値を保存できる方法でもある。
それらの機能が、社会の共通認識のもとで成り立つということを考えると、お金を切断して、色を塗って、作品にするというのは、公共的制度を挑発し、タブーを犯していることになる。
お金を使った作品と言えば、赤瀬川原平がいる。大嶽さんも、自分の作品に違法性がないかを法律関係者に聞いて調べたそうだ。赤瀬川原平さんが制作した千円札を模した作品は、複製印刷したことで法に抵触したが、版を作らず、複製もしていない大嶽さんの作品は、違法ではないという。
大嶽さんの作品に描かれているのは、蝶と蛾である。野口英世がいる表面を鑑賞者側に向けた場合は、その面に蛾を描き、富士山がある裏面を向けた場合は蝶を描いている。ここに大嶽さんの作品の重要なコンセプトがある。
一般に、蝶は明るく美しい、蛾はグロテスクで気持ち悪い、言い換えると、蝶は「美」「善」「正義」で、蛾は「醜」「悪」「不義」というのが、一般的な印象である。だが、実は、両者に生物的な違いは、さほどないという。
「蝶は昼に飛び、蛾は夜に活動する」「蝶は羽をたたんでとまり、蛾は広げてとまる」などと言っても、例外があって、作家によると、蝶と蛾は同じ「鱗翅目」で、区別できないほどに似ている仲間である。
実際に、外国では、日本語の「蝶」と「蛾」、英語の「butterfly」、「moth」のように言葉で区別せず、1つの言葉で言い表している国もある。
つまり、ここでは、お金という本来はニュートラルな尺度、交換手段、価値の保存法であるお金が、一方では善なるイメージ、他方では悪なるイメージという二項対立をまとっている。
お金は人間の善悪と関わり、欲望が過ぎ、倫理を失えば人間の闇に結びつき、逆に、不実とかけ離れたところで、地道に働く意味、節度ある欲求やボランティア精神と結びつけば、人間の幸福にとって欠かすことのできないツールとなる。
大嶽さんは、紙幣を蝶と蛾にすることで、健全さと不健全さ、誠実さと退廃、モラルとアンモラル、無欲と強欲、成功と破滅など、人間の表裏に重ね、お金を通じて、人間によるうつし世の意味の世界を見据えている。
お金については、資本主義社会では、貧富、格差という過酷な現実として現れるが、これは、金持ちか貧乏かのみならず、どちらが多いか少ないか、誰が多く獲るか少ないか、どちらが上か下か、どちらが勝ちか負けか、どちらが偉いか偉くないかなど、比較し、ジャッジする思考で、人間そのものの愚かさのことも言っている。
意味の世界に埋没して、比べることで、奪い、見下す、あるいは妬むというのは、本来、1つであるものを2つに分けるという人間の思考から来ている。
大嶽さんの作品が面白いのは、紙幣の表面には蛾、裏面には蝶を描きながら、実は大して変わらず、同じように見えるという点である。つまり、同じ「鱗翅目」。
人間は勝手な解釈で、1つのものを分けてしまう。同じものを2つの区分でなく、1という全体として、どう考えるか。
大嶽さんの作品は、目玉のような模様である眼状紋がくっきりと描かれていて、私たち鑑賞者を見つめている。私たちのお金との関係、生き方を問うていると言ってもいい。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)