ガレリア・フィナルテ(名古屋) 2023年11月14日〜12月9日
大﨑のぶゆき(大崎のぶゆき)
大﨑のぶゆきさんは1975年、大阪府生まれ。1998年、京都市立芸術大学美術学部美術科版画専攻卒業。2000年、京都市立芸術大学大学院美術研究科版画修了。
写真などを素材に版の思考も反映させたコンセプチュアルな平面作品を展開し、イメージの変容と世界の不確かさ、知覚、記憶と時間をテーマにした作品を制作している。
愛知、京都、大阪、東京などで個展を続けている。国内外で多数のグループ展に参加。2017年に大阪市「咲くやこの花賞」、2015年に名古屋市芸術奨励賞、 2013年にVOCA 2013佳作賞を受賞している。
2019年のガレリアフィナルテの個展では、《untitled album photo》のシリーズが展示された。知人のアルバム写真のイメージを、独自のメディウムを調合した水彩絵具でアクリル板に描いた後、水の中に立てかけ、絵具が流出する瞬間を撮影した作品である。
いくつかのメディアを横断する制作過程には、版の思考が反映している。手描きの絵具が流出する、あたかも写真の像が溶け出すような作品は時間や記憶のテーマと関わっている。
2020年の個展では、新型コロナウイルス感染拡大の影響が続く中、旧フィナルテの空間と向き合い、インスタレーション作品《beyond the time》を展示。白く塗った合板をギャラリーの壁に立てかけ、長い年月を経て傷だらけになったフィナルテの壁と対比させた。
実は、このとき展示されたもう1つの作品が、今回と同じ《日時計》である。写真を主な素材に、時間の流れによる変化を内包したシリーズである。
《日時計》シリーズは、2019年のブエノスアイレス滞在をきっかけに始まり、その後、香港、リンツ、ハンブルク、ベネチアなどの写真でも制作された。
撮影した都市の緯度と同じ角度をもつ直角三角形のアクリル板が、写真イメージの一部を覆うという、シンプルな作品である。そして、このアクリル板は、変色・劣化を大幅に軽減するUVカットのものである。
つまり、アクリル板に覆われた部分は、紫外線の影響が少なく、それ以外の部分では、紫外線の影響を受ける。
日時計 2023年個展
今回展示された《日時計》は、すべて「日時計 48° 2023年」のタイトルが付されている。48°は、シュトゥットガルトの緯度である。2021-22年、コロナ禍の真っ只中に、文化庁新進芸術家海外研修員として、シュトゥットガルトに滞在したときの体験が基になっている。
ちなみに、大﨑さんは、2003年に大阪府芸術家交流事業「ART-EX」で、デュッセルドルフにも滞在している。 シュトゥットガルトでの滞在制作は、約20年前のドイツでの滞在制作の「再現」でもある。
今回のモチーフは、写真だけではない。シュトゥットガルトでのスナップ写真以外にも、ロックダウン中に描いたドローイング、規制が解除された直後に街で買った布、アパートの隣人・ルースさんからの置き手紙や、その裏面に描き加えられたルースさんの孫娘のらくがきが使われている。
ドローイングや置き手紙がコラージュされていることもあって、写真のイメージは分かりにくいが、何気ない日常の風景、事物である。
写真は、スクリーンプリントによるプロセス印刷で刷られ、その際、あえてドットを粗くすることで、CMYK(シアン/マゼンタ/イエロー/ブラック)を色分解している。
大﨑さんによると、紫外線による影響がCMYKによって異なるため、色分解することで経年による退色の差異が表れやすくなる。
ドローイングは、紙切れにペンをぐるぐる動かして描いたような素朴なもので、ロックダウン中の焦燥感のようなものも感じさせる。
また、ほほえましい隣人・ルースさんからの置き手紙や、孫娘のらくがきはカラーコピーされている。布は、開放感で街に繰り出し、入手したときのものである。
つまり、プロセス印刷のスナップ写真も、かわいらしい花と小鳥の絵柄の布も、コピーされた置き手紙や、らくがきも、紙切れのドローイングも、素材の全てがチープで、ささやかな日常の断片である。
20年後、30年後、50年後‥‥長い時間がたった後に、この作品は、UVカットのアクリル板で覆われた部分と、覆われていない部分の違いによって、あるいは、色彩の退色具合、その他の要素による差異を伴いながら、劣化、変化しているだろう。
「日時計」は、そんな作品である。つまり、未来を考えること、未来を想像するという作品である。そして、未来を思うということは常に、その眼差しの先を現在に回帰させる。
未来を見ることで、「今」がより強く意識される。過去の日常の大切な記憶から、未来が想像され、そして絶えず、現在を思考すること。
過ぎ去った記憶と、まだ見ぬ不確かな未来、そして自分が生きている今、この刹那の結び目が、この予兆なきほどに静かな「日時計」なのではないか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)