ガレリア フィナルテ(名古屋) 2020年8月18日~ 9月5日
大﨑のぶゆき 「不可視とは可視であり、ただ未可視なだけ」ガレリア フィナルテ
昨年、愛知で9年ぶりの個展を開いた大崎(大﨑)さんが、新型コロナウイルス感染拡大の影響が続くタイミングで、果敢な展示を試みた。見ることと見えないこと、視覚、イメージ、記憶についての示唆に富んだ作品である。そして、それらは、現在、過去、未来という時間性も伴う。
昨年は、知人らのアルバム写真を素材に描いたイメージが溶けていくように変容する瞬間を撮影した平面作品によって、写真と絵画、視覚イメージと記憶について、見る者の内面に作用するような作品を展示した。
今回は、打って変わって、ガレリア フィナルテの空間の記憶と対話するインスターレションと、イメージの予兆を含んだ連作を展示した。
壁に立て掛けられた4枚の白い大きな板材は、「beyond the time」と題されたインスタレーションである。板材のヘリを見ると、薄い板が重ねられた合板だと分かる。表面は艶やかな白色で塗られていて、工業資材のようにニュートラルだが、資料を見ると、「補修した合板」と書かれているので、作品などに使った板を、痕跡を消すように塗り直したのだろう。
何かに使われた板なのだろうが、鑑賞者は、注意深く補修の痕跡を探さないと、それを知ることはできない。仮に、それを見つけられれば、過去に使われた来歴に思いをはせることはできるだろう。
壁に平面作品として掛けられるわけでなく、無造作に壁に立て掛けられていることで、その平滑、均質な平面は、鑑賞者を混乱させ、少し美術をかじった鑑賞者なら、そのミニマルな態様に、アルテ・ポーヴェラ、あるいは、もの派的な作品なのかと思う人がいるかもしれない。
ヒントは、どこにあるのか。情報のない鑑賞者は、ただ、見て、感じるしかない。見えてくるのは、平滑な白い合板の表面に対して、傷や凹み、汚れ、色の変化などが著しい白い画廊空間の壁である。
さらに言えば、ここから見えてくるのは、かつて、1980年代、あるいは90年代半ば頃までは、日本の現代美術の重要な場所だった名古屋の歴史と現在の姿だろう。
少し懐古的になっているのかもしれないが、筆者が名古屋で美術を見始めた1990年代にあった桜画廊、ユマニテ、タカギ、白土舎、コウジオグラ、MAT、旧APA、伽藍洞、ナイトウなどが、次々と閉鎖し、当時から続いている数少ない画廊の1つが、ガレリア フィナルテなのである。
大崎さんの作品が浮かび上がらせたのは、実は、こうした名古屋の画廊史なのである。平滑の板が、画廊空間の変化と歴史を見せてくれるのだ。
フィナルテの画廊主、福田久美子さんによると、そのフィナルテも、ビルの老朽化に伴い、2021年末までに展覧会を終え、2022年1月に、名古屋・広小路本町の小スペースに引っ越さなくてはならなくなった。天井が高く、レトロな雰囲気のあったフィナルテの空間は、現代美術にはとても合い、青木野枝さんの彫刻など、多くの作品を見た場所だけに、大変惜しい。
大崎さんの作品は、画廊空間に気づかせることで、画廊の歴史を見せ、1年半後には、この空間が消える予兆にもなっている。イメージの欠如、変容によって、現在と過去、記憶、未来と予兆を可視化してくれるのが、大崎さんの作品と言っていいのかもしれない。
連作「日時計」は、大崎さんらしく、写真を使った作品である。写真は、さまざまな国で撮影されたごく普通の小さなもので、額縁の中でグレーのボール紙の背景に貼られている。写真は、必ずしも、フレームの中心でなく、むしろ、下の右寄りや、上の右寄り、真ん中あたりの左寄りなどにある。
もう1つ、注目すべきことは、その写真を横切るように、斜めの直線が横切っていることである。つまり、額のガラスに重ねて、一部だけ透明なアクリル板が載せられているが、その斜辺がちょうど写真を横切るような位置関係なのである。
重ねられたのは、撮影した都市の緯度に基づく角度をもつ三角形のUVアクリル板である。つまり、写真の一部は、紫外線の影響が少なく、長い時間がたった後に、色褪せの程度が違ってくる。経年劣化すると、この作品の写真は、UVアクリル板に覆われた部分と、そうでない部分によって、写真の変色具合も違ってくるだろう。
「beyond the time」が、スクリーンのような平滑な板材によって、これから何かが描かれるような未来の予兆を感じさせながら、過去の記憶を浮かび上がらせたとすれば、逆に、「日時計」は、写真という記憶(過去)のイメージを使いながら、まだ見ぬ未来を暗示しているのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)