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大野瑠菜「日光浴」市民ギャラリー栄(名古屋)で2024年7月11-28日に開催

市民ギャラリー栄(名古屋) 2024年7月11〜28日

大野瑠菜

 大野瑠菜さんは2023年、愛知県立芸術大美術学部油画専攻卒業。同大学院美術研究科博士前期課程油画・版画領域在籍。

 2022年のエビスアートラボ(名古屋)でのグループ展「topophilia -世界の眺め-」に出品している。

 また、同画廊で2024年5月30日〜7月28日に開催されているドローイングのグループ展「Parallel Shift」にも出品している。

 筆者は、これらのエビスアートラボでの2つのグループ展を見たうえで、今回の個展を見た。

 2022年の個展でも、今回のエビスでのドローイング展でも、実にさまざまな描き方をしていて、1人の作家だとは思えない印象もあった。

 エビスで見た作品と比べ、今回の大きなサイズの作品は、さまざまな、これまでの試行が一つのまとまりとして展開している感じがあって、見応えがあった。

日光浴 2024年

 筆者が感じる大野さんの絵画世界は、実際の風景、空間を描きながらも、空間が歪み、同時に大きな流動感の中にあり、ときに折り重なるようにさまざまな位相の認識世界が、異界の混入のように入り込んでいる。

 そこにいた、経験した、歩いたという実感的事実が、さまざまに変奏されたいくつもの世界の陥入しあった絵画空間として描かれている。

 断片化された空間が同時に存在し、それらが重ねられ、流れるような宇宙としての外界が意識される。動物、精霊のような存在が描かれ、物語世界のように時空が共有される⋯。

 アニミズムや、神話性を感じる世界である。遠近法どころか、これは、実感の空間、それとは別の視点、心の動き、記憶、空想による、いくつもの空間、生き物がつながり、流れていくような全体性の世界である。

 正面の壁にある3つの大作「風景草むら」「風景石ころ」「風景ながら」にも、精霊の存在を感じるのだ。

 大野さんは近代的な主体と客体との関係、二元論的世界観、自他の物理的境界に基づいて描いていない。自然や生き物の声を聞くように、世界に自分を浸すようにして、その一体感を描いている。

 感性と想像力によって、現実の空間を主観的な経験、主観的風景として描いているが、それは、大野さんという主体でなく、他の生き物や植物、あるいは、モノが作家に憑依して描いたような、多次元の融合したグラデーションのようなポリフォニー的世界である。

 これは私の推測だが、大野さんは風景や空間の体験によって、刻々とうつろう世界そのものを受けとめ、光や影、色彩を感じ、大地や石や岩の感触を思い返し、そして生き物や植物の声を聞くように、あらゆる動物、植物、モノが「見る」世界の混ざり合う空間を描いている。

 それゆえに、と言うべきか、大野さんが引く線は、単に、2点をつなぐ直線ではなく、色彩は単純なアイデンティティーにならず、形は自由で、空間は陥入しあいながら、たゆとうように流れていく。

 つまりは、すべてが生成変化し、いのちの軌跡のように複雑で、不思議なものとなっている。それは、幾何学性、方法論、合理化、意味や解釈、物語、寓意に閉じることのない、開かれた祖型のようなイメージである。

 常に変化していく仏教の無常とも言うべき世界かもしれないし、円環するような先住民族の時間感覚かもしれないし、人間に優越性を置かず、この世界に耳を澄まし、受け取り、自然の智慧に気づきをいただくような人類学に近い味方かもしれない。

 体験し、感覚を研ぎ澄まし、感じ、記憶とともに、空想を働かせながら、そんな世界を自然体で描いているのではないだろうか。これからが楽しみな若手である。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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