2020年10月2日〜11月21日、京都市の現代美術 ⾋居及び、⾋居アネックスで開催されている「中島晴美:50 年の軌跡」展に合わせ、11月12日、 中島さんの作品をテーマにオンラインコンフェレンス が開かれた。
中島さんは岐阜県恵那市の陶芸家。同県多治見市陶磁器意匠研究所の所長として、若い陶芸家も育てている。
中島晴美さんの50年にわたる作品を振り返る 同展については、「中島晴美:50年の軌跡 京都 現代美術 ⾋居 ⾋居アネックス」を参照。
コンフェレンス(シンポジウム)
対面ではなく、Zoomによる オンラインコンフェレンス。Zoomのチャット機能を使った通訳も入り、日本語、中国語、英語の3カ国語に対応した。
講演者、質問者として、中島晴美さんのほか、白明(清華大学美術学院陶磁器芸術学部主任、教授、博士指導教官:中国美術家協会陶磁器芸術委員会主任、北京、中国)、ニコル・クーリッジ・ルマニエール(セインズベリー日本藝術研究所研究担当所長、イースト・アングリア大学日本美術文化教授、英国) 、クラウディア・カサリ(ディレクター、 国際陶磁器博物館、ファエンツァ、イタリア)の各氏が参加した。
この記事では、コンフェレンスを聞き、印象に残った中島さんの言葉を筆者なりの解釈で伝える。
走泥社展
中島さんは、大学3年⽣のとき、⾛泥社展を見たことがその後の陶芸家としての人生を決めたとしている。
当時の記憶として、中島さんは、西洋美術を中心とした教育を受けて生きた中で、走泥社展で見た作品の衝撃について改めて強調した。
伝統的な陶芸でなく、現代陶芸に挑戦するにしても、例えば、米国の抽象表現主義の陶芸家、 ピーター・ヴォーコス は好きだけど、やはり自分がやるとなると違ったという。
クレイで抽象表現主義を実践しようとしたのが、ヴォーコス。力強く、ダイナミックな表現は、従来の陶芸を徹底的に覆すものだったが、前衛性の方向として、中島さんの内なるものとは共振しなかったのである。
中島さんが走泥社の作品に共感したのは、 ヴォーコスにはない日本人の美意識。自分が立つ日本というバナキュラーな文化、風土、自然、歴史を踏まえた前衛性にこそ、大きな衝撃を受けたのである。
中島作品のドット模様
中島さんの作品の特徴でもある表面の水玉模様については、造形とは違う視点から、意義を述べた。
中島さんの作品では、土の可塑性がもたらす有機的な造形が、陶芸の造形プロセスの根幹となる。
その形態に、生き生きとした動きと活力を与えるのが、ドット模様である。
中島さんによると、陶芸の造形の過程で、土の可塑性に自分自身の身体性、深奥なる精神を関わらせる対話は、とても生々しいせめぎ合いである。
他方、形態にドットをつけていくプロセスは、制御された理性的作業である。確かに、中島さんの作品の ドットは、見事にコントロールされている。
筆者は、展覧会レビューで、「表面を覆う青いドットの大きさ、間合い、粗密、テンポが、さらなる生動感を与え、空間に豊かに転調させていく」と書いた。
中島さんによると、ピンセットで、小さいものだと直径5ミリのドットをつけていく作業は、実に大変である。
ドット模様は、緻密な作業によって成り立っている。可塑性のある土との身体的、情動的な対話が、ある種、ねちっこい作業であるのに対し、それを理性によって中和し、精妙な表情と動き、品格を付与するのがドットの連続かもしれない。
近年は、以前の作品で見られた反転がなくなり、むしろ、球体の増殖とそれに伴うしなやかに伸びるような形態、ひれのような境界、ダイナミズムのほうが強調されている。
それに合わせて、外が内に、内が外にねじれる形態が少なくなり、ドットも外から内へ、内から外へと反転しながら広がることはない。
むしろ、ドットの展開は、反転よりは、増殖と力強い動きに寄与していると言えるのではないか。
教育者として
また、愛知教育大、多治見市陶磁器意匠研究所などで、教育者として後進の育成に当たった中島さんの指導にも質問があった。
中島さんは、学生には、「人の話を聞くな」と言ってきたという。人に助言をしておきながら、「聞くな」というのは矛盾だが、中島さんは、その「聞くな」という話も「聞くな」と言ったらしい。
では、いったい、どっちなんだ。
「聞く」というのは、「耳に入れる」という意味より、ここでは「従う」という意味だというのは分かるだろう。
つまり、中島さんの言った助言に、従うか、従わないかは、自分で決めろということである。
これは、アーティストなら、当然だろう。人の言うとおりにやるだけなら、アーティストとはいえない。
ここで、中島さんは、自分が師事した熊倉順吉さんの名前を挙げた。熊倉さんは、中島さんに「自分だけの造形論を持て」と言ったという。
中島さんが、若い陶芸家に言いたいのも、このことだろう。中島さん自身が、抑え込んでも突き出てくる自意識と格闘しながら、自分だけの造形論を立ち上げた。
明日を切り開くのは自分でしかないと。